自分の好きな顔ーその時代時代の顔。
自分の写真でも、ときにとっても好きな写真というのがある。
私の場合、だいたいにおいて、しあわせを感じている、というような状況の時よりも、むしろ、なんでこの時期にこんないい顔してたのかしらん?と思う時期の写真の方がいい写真になっていることが多い。
それは、たぶん、困難を乗り越えていたからだと思う。
思い切り緊張して、今のその状態を潜り抜けることに必死だったからだと思う。
いい顔している。
それに比して、どうってことない時期の顔は、ボーっとしている。
つくづく乗り越えることが好きな体質なのだろう。
だから試験勉強は大好きだし(人のも自分のも。)、仕事でも、初めての経験とか、新たな仕事とか分野とか、初めての大変さを楽しんでしまう方である。
だから、その一番大変だった時期を、緊張して初めての経験をしたときのことを話して、
あの頃はよかったなあ・・・。
などと言っては周りに呆れられている。
学生時代について思い出すのも、一番大変だった時期である。
卒論を書いていたときのことを先輩の先生と話していたとき、
もう一回やってみたいなあ・・・。
と言ったら、修士論文まで書いたその先輩は、
絶対いややわ。
とおっしゃっていた。
私は、何かを越えることが大好きである。
周りから見てどうのこうの、なんていうのは、勝手に思わせておけばいいけど、それを乗り越え、なんなら習得したりするのは、とっても楽しい。
そして、身に着けてしまったものなど、たいして意味を持たない。
毎日キッチンに立ち、最近では新たな工夫をした新しいレシピを試しているけれど、そのアレンジをするときに、結構基本が身に着いていることに気づき、初めてそれを試したときのことを思い出す。
そして、まだ調理器具も揃っていない頃に離乳食に必死になっていた頃、初めてケーキを焼いた頃、お魚を捌きだしたことなどを思い出す。札幌でカレイを捌いてお刺身を作ったときのことなどは忘れられない。
初めてイワシの手さばきをして、こんがりロールを作ったときのことが忘れられない。
それと同様に、高校数学にときめいた初めの頃の努力を思い出すし、今解いているときの楽しみは、あの若いころからのものなのだなあ、と感慨深い。
私は、しんどかった時を、あんな思いを二度としたくない、ではなくて、あの時大丈夫だったから、またいける、にしてしまうし、その当時を懐かしく愛おしく思い出してしまう。
完成してしまったら面白くないのかもしれない。
こうして、一生掛けて、棺桶に入るその日に私の人生を完成するその時まで、きっと何らかの形で努力していくことだろう。
数学は最晩年に手を付けよう、と思っていたのに、割と早くに始めている。
いつかしよう!と思っていたこと、実現したいと思っていたことは、だいたいにおいて、早めにそうすることになったり、早めに実現していたりする。
それというのも、私が、それをやりたい、共と思い続けているからであると思う。
いつかやりたい。いつかできるようになりたい。
それと同じで、志望校も、下げてしまえば、自分の実力は下がりがちである。
第一志望に入るということが難しいのであるからこそ、とにかく自分を引き上げるためにも、目標が高めに掲げておいた方がいい。
下げるのは簡単。下げることは簡単なのだから、自分を向上させたいなら、とりあえず目標は高く、実行はコツコツと着実な方がいい。