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ある人が非常にリアルに夢に出てきたこと。

教室を開いたときから、勝手に「仕事の神様」にしてきた人がいる。
先日から、その人のことを思い出すようなことばかりしてきたし、ここのところ、その人と同じ職業の人と出会い、お話しなければならない必然性があり、嫌でも意識してきた。

それで、というわけでもないのだろうけれど、その人の頑張りを思い、いつも私も頑張らなくちゃ!と思ってきた人がいる。
コロナの前年になるのか、いやその一年前か?私は教室の方向性に納得がいかなくて、あちこち勉強に出掛けだした。
最初は金沢だった。
私は、方向性をこそ探りたくて行ったので、ちょっと目的が違うようであったが、とりあえず勉強していた。
懐かしの札幌に行ってみたり、沖縄に行ってみたり、歩くだけ歩いて、ああ、違う・・・、と思った。
結局はしたいことは、京セラ創業者である稲盛和夫さんの『京セラフィロソフィ』にすべてがあると思うに至った。
学ぼうとしていた先生は、哲学としては、稲盛さんと真逆の人だったので、開業当初は、それこそ全く逆の考え方を取り入れる形で学ばせていただいた。

『京セラフィロソフィ』は、開校当初から私のバイブルだった。
迷っても、稲盛さんに戻れば答えがあった。
私の教育理念を強化することはあっても、そこからズレることはなかった。
いつも読めばホッとした。

経営、という言葉には馴染みがなかったし、あまり好きな言葉でもなかった。
でも、仕方がなく、経営書を手にしたその最初が、稲盛さんの『生き方』だった。
生き方を伝えていきたい、と思って教育してきた私には、この本はすっと入り、そして、私は、少し値段が張ったけど、『京セラフィロソフィ』をそれこそバイブルにしてきたので、ボロボロになっている。

勝手に仕事の仕方を自分の理想形にしていた可能性もないけれど、稲盛さんとは違う人を勝手に「仕事の神様」ということにして頑張って来た。

途中、自分のやっていることは違う、と思い詰めて、私は経営者ではないから、と思っていたこともあった。
けど、結局、それでいいやん・・・、と金沢で、ある先生に言われた通り、私は私、と思っている。

今日、その、「仕事の神様」の夢を見た。
私がパソコンで仕事をしていると、なぜか階段から仕事着で、しかも、ちゃんと年を取った、今の年代の姿で、
「ちょっとパソコン、貸して・・・。」と言われた。
「いや、ちょっと嫌やねんけど・・・。」と言ったら、
「いや貸して・・・。」と言って、調べ物をし出した。
そのリアルさと、あまりの自然さに、起きてからも呆れていた。
最近、私は、その人を思い出すだけのたくさんのことをしていた。夢の中で、絶対にありえないのに(業種が全く違う。)、自然に一緒に仕事しているようだった。

先日、ある先輩が、とんでもないことをしておられたという方面の勉強をしたくなってきていた。
勉強の内容としては、再開になる。
ものすごく思い詰めて、ということでもないけれど、本心を突き詰めたら、もう少し何かの勉強がしたいのだろうな、と思っている。
哲学も最近、学びの場に参加させていただいている。
先日も、次回のテーマになっている、カントの作品を読み、私は感動し、ああ、ここに答えがあったのね!とうれし泣きしそうであった(ちなみにkinndleなので、紙の本を読んでいたときほど、感動の涙を流したとしても、どうも様にならない気もするけど。(笑))。

すみません。
こういうときに、ちょっとは色っぽい話でもできればいいんだけど。
古文の先生なんだしね。生徒に言わせると古文オタクなんだし。
そこで仕事の方に、ビューン!と行ってしまうのが私であって。
でも、その分野の勉強をすると、現代文の分析の鋭さは増すので、まあ、いいのではないかなあ。

公開:2022/11/15 最終更新:2022/11/15
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