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書くことの重要性ー国語の解答は当然。それ以外にも効用あり。

意外に共通テストだけ国語がある場合でも、記述式の勉強をしていれば、相当に力が着くことがある。
要は読解力の問題なので、例えば国公立二次試験用に解答作成するという作業は、まずしっかり読まなければ解答できないし(これはいわゆるインプットの問題。)、うまく表出する力を着けるためには、言葉の配置と助詞の組み合わせ方で文意が変わるので、解答をブラッシュアップしていく段階で、相当に文章を読み込むので、相当の力が着き、当然ながら読解力も表出力も着く。
書くことというのは偉大な作業である。

また、言葉の力は偉大で、自分の気持ちを言葉で整理してみると、結構単純な悩みだったと気付くこともあるし、整理しても結構複雑なものであると気付いても、それを紐解いていくのは単純な作業となるけれど、その糸口となるのは言葉である。
言葉で定義できると、結局思考を整理できて、思考の枠組みまで変えることができ、究極的には自分の人生を思い通りにするのも国語であるということに行きつく。

というか私はそうしてきた。
言葉なしに自分を励ますことも、人生で起こってきたことに対して自分なりに意味づけするのも言葉の力で出会った。いやそうだ。

国語は相当に力のある教科である。
私の場合、数学的な思考も国語のおかげだし、逆に数学も国語力が大きくものを言っている。

頭が良いとか成績が良いとかいうときとちょっと違った賢さというものを論じるときに、やはり言葉の力というのは大きい。
年齢関係なく、この人賢いなあ、と思う人って、例外なく言葉を使うことのできる人だと思う。
身に着いて、言葉の力を使う以前に、徳というか、咄嗟に人のことを思える人もいらっしゃる。
でも、一方、しっかり考えて熟考するという意味では言葉の力がなければ何もできない。

私にとっては国語というのは大事な友人でもあり、時に恩師でもあり、とんでもなく人生を豊かにしてくれるツールでもある。
そしてときに困難と思える出来事があったとしても、それを素晴らしい意味のあるチャンスとしてとらえ直すことができるような、意味を変えてしまう魔法の杖でもある。

母や恩師の力で、私は国語と出会った。
私も誰かと何かの橋渡しができると嬉しい。

本当にありがたい宝物だと思っている。

公開:2023/09/21 最終更新:2023/09/21
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