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漫画読むように本を読み、息するように古文を読むらしい私

あー、本がないと生きて行けない!

最近また痛切に思うようになった。
またまた目につく本目につく本が読みたくなる。
最近は心理学関係や文学書が多いだろうか?
こんな時にアマゾンを開くととんでもないことになるが、その点、kinndleにお世話になっているので、そうそう家計が痛むほどにはなっていない。ありがたや・・・。

最近の読むスピードは以前より増している。

中学時代、高校時代はそうそう読むのが速い方ではなかった。
大学時代、卒論のために参考文献を読む辺りで、みんなで読むのが速くなった!と話していたのを思い出す。
後天的に身に着けて、自分が気に入ったものは子どもたちに引き継がれていくのだということを子どもたちを見ていて思い知った。
中学生と小学生になったとき、それぞれにお気に入りの作家がいて、近くに本屋さんが会ったりしたこともあって、新刊が出ると早速買わされた。
そして、一方は非常に静かに読み、そして一方は、突然何が起こったかわからないくらいに突然、何の脈絡もなくゲラゲラゲラゲラと大笑いするのである。いくら母親でも、何が起こったのか!?と何度びっくりさせられたことだろうか。
で、姉の方は同じ本を読んでいて、人が家事をしている間にサッサと呼んで、
今どこ?
と聞いて、ああ、そこはね・・・、とネタバレをするのである。

そんなに本を読むのが遅いとも思っていなかったが、これでも本職のはずなので、悔しい思い(なんと大人げない!)をした。
なんで!なんで!なんで!

どうもピアノの腕を競われた息子(10歳くらいの頃に私が本気出したら、ムキになって挑まれた。)の姿でもわかったが、私が大人げないからか、どうも子どもたちそれぞれと私は同レベルで競っていた感がある。

それぞれの人生ではないか。
もちろん親子でもあるけど、一人ひとりの人生でもある。
競ってもらっても結構。

全く違う話だけれど・・・。
今日、指導した生徒さんにちょっと聞いてみた。
なんで大学行くの?
そしたら、親や学校の先生に、大学に行かないとバカにされるって言われるから。どれほど差別されるかわからないけど・・・。
という返事が返って来た。
たぶん親御さんも先生方もちょっと違うニュアンスで発言されたのではないか?と思う。

ちょっとだけ寂しかった。
大学に行くのをマイナスをプラスに換えるためのようで。
それよりは、前向きに、大学に行って、○○したい・・・、とか大学に行ったら○○できるから・・・。
の方が明るくていい。
いったいどうしたのかな?
彼が明るい未来を描けるような勉強をしてもらいたいな。
今の世の中が暗い話が多すぎるからだろうか?

私は、大学行ったらたくさんの人ともたくさんのものとも出会えると思うよ、って言いたい。
アルバイトして精一杯仕事してみるのもいい。
それこそ大学に行く目的の王道として学問に励むのもいい。
なんなら恋愛にのめり込んで、しあわせな思いも悲しい思いもたくさん味わってみてもいい。
将来の夢に向かって、もしかしたら華々しい青春とは違ったときを送るのもいい。

私は大学時代ばかりを美化できない。
あの頃に戻りたいなどとも思わない。
それはそれなりに青春時代の要素がたくさんあったけれど、過去は過去。
私はいつも今が一番いい。
大人げなかろうが、子どもっぽかろうが、毎日楽しいと思うことをたくさん学び続けて生きたい。
この忙しいさなかに古典を読みたい、と思ってしまう自分を自分で笑っているというおかしな構図。
でも実行できなくても思うだけならだれでもできるし。罪もないし。

公開:2023/07/17 最終更新:2023/07/17
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