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進路指導の、受験指導の難しさと醍醐味。

大学受験指導をしていて、私は多くは国語科として関わってきましたが、その指導の中で、ふと話したことから、生徒さんがある大学を受験して、合格し、その大学と縁のあることになった、ということはたくさんありました。
ちょっと、ふと思ったことを話してみたときのことです。
東京の大学をいくつか受験していた生徒に、
あなたは京都も合ってる気がする・・・。
と言ってみたのです。
まあ、カラー的に、〇〇大より〇〇大の方が合ってるかもね・・・。
それを耳にしていた受験生は、一つだけ受験してみて、ほかの大学は不合格だったのに、京都の大学だけ、それも補欠入学で合格して、その年めでたく大学に合格した、ということもありました。
また、徳のある人は存在するもので、一番偏差値の低い大学と一番偏差値の高い大学の、それも偏差値の高いほうの学部だけ合格してきた、という生徒もいました。
その生徒は、センター試験の後で、全く進路指導のお世話になっていない、それも受験科目でもない科目の授業の中で、担当の先生がおっしゃったことを素直にそうだなあ、と思い、そして受験してみたら、なんとも自分に合った大学と出会われたのだそうです。
また、ほかの大学も学部も全部落ちてしまったのに、自分の得意な一科目だけの入試があり、それで結構偏差値の高い大学の合格した生徒もいました。

どうも常々出されてきた偏差値と、合格する力というのは、きれいに連動ばかりするものではないようです。
京都大学のアメリカンフットボール部に所属していた方のお話ですが(経済界ではなかなか有名な方なのに、お名前を忘れてしまいまいました。)、結構試験に親和性のあるタイプだったようで、高校の定期考査では結構いい点数を取れていたのだそうです。だから京都大学を受験して、アッサリ不合格。一年の浪人の後、周りの人より判定が良かったにもかかわらず、自分だけ不合格。もう一浪したのだったかな?
そのときに、きちんと努力することの大切さに気付いたのだそうです。
ときに判定は出ているのだけれど、受験には弱かったという話も聞きますし、実際にそういうタイプのお子さんともお付き合いしてきました。
講師としても、そういうタイプの場合、なんとなく感じることもあるのですが、とりあえず判定に出ているから大丈夫だろう、と思いがちです。
ただただ、きちんと日々努力しないと、何が起こるかわからないよ、と言い続けます。

それなのに、なんであなたが合格したの?と思わされるような合格もあります。
日々の生き方というものはどこかで結果として顕れるのだと思います。

そういう経験って、後々の人生に生きてくるものなので、不合格が良くなくて、合格ばかりを評価するわけではありません。それだって、人生のある意味通過点ですから。
でも、目指していて、きちんと判定まで出ているのに合格しない、という場合、自分の中のどこかに反省する必要があるのかもしれません。

だから受験指導は気が抜けません。
教科指導だけではなくて、本番に強い人に育て上げなければなりません。

それはかつてステージに上がって演奏させていただいてきた経験が生きています。
当日だけの、すばらしい、天から降ってくるような演奏もあります。
逆にいつもはできていた聴かせどころのパッセージが、全く演奏できない、というハプニングに陥ることもあります。
今も、ウッ!と思い出す場面もあります(あのとき指揮者に謝ってなかった・・・、と思い返してみたり。今頃。)。
本当に演奏は当日になってみないとどうなるかわからない。
そんな経験をさせていただいてきたことって、本当に今に生きています。

一方で、これはなんとかなる、一つ一つ事柄をしっかり詰めて行けば大丈夫。絶対うまくいく、という信念のもとに、成功させてきた経験もたくさんあります。人と人がうまく絡み合って、出来事が融合しにやって来た・・・、というような素晴らしい場面もありました。

受験勉強は、人生を切り開いていくためのものです。
でも、一方、それだって切り開くための経験とも言えますが、その後の人生で、出会う体験の中で、しんどくても、困難でも、きっと乗り切ることができる、成功する、という信念をもつことの練習になると思います。
受験勉強の中で、一番怖いのは恐怖、不安です。今の勉強が将来につながらないのではないか?という不安。だから一歩が踏み出せなくなっていたり、途中で進まなくなってしまうことがあるのです。
そんなときに弱気になる気持ちを、なんとかなだめ、良い方向に持って行ってもらうための言葉を掛け、支えつつ一緒に走り抜けるのが予備校や塾の使命だと思っています。

公開:2023/03/11 最終更新:2023/03/11
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