お家の用事をする効用ー効用なんて言っている時点でちょっと目的が違うかも?
意外にも、都会の方の超絶進学校で東大にたくさんの生徒を送り出しておられる学校の先生方は、家のお手伝いをするようお勧めになっているらしい。
これには大いに賛成である。
私自身、指導以外の片付けや掃除などをすると、その後の仕事が捗る、という経験を何度もしている。
とはいえ、それが一番の仕事、と思っていることにはつい負けてしまって、後回しになることも多いけど。
受験生には、部屋の片づけができないくらいに勉強にのめりなさい、という一方で、お手伝いをすると、気持ちがすっきりして、頭の回転もよくなるよ・・・、などと矛盾したことも言う。
どちらも真である。
私は高3の4月から、なるだけ家の用事をしていた。
だいたい、過激な部活に入るのをよく思っていなかった父に理解されたいという面もあったけれど、何を思ってか、それまで父の思いに反したことをしていたので、家にいることが多くなる分、家事に貢献し、努力を認めてもらおうと思っていたのだと思うし、単純に、家族に役立ちたかったというのもあるだろう。同じことを言っているような気もするけども。
ただ、やってみたら(部活をしている間に比べて、格段に時間もできたし、人間関係的な神経の使い方も減ったので。)、部活に入っている頃よりも、ずっと楽だったし、何より、両親の気持ちに添っているという思いで、心はすっきりとし、それ以外の時間はすっきりと勉強に集中することができた。
女の子だから・・・、というところにうるさい父だった。
でも、学んだ。
日常生活に必要なことをしっかりすれば、それ以外の勉強や仕事もしっかりできるのだということを。
どこかをおろそかにするつもりも、軽重をつける気もないけれど、やはり責任のある仕事に傾きがちなのは仕方がない。
仕事の中でも、どうしても指導というところに重点が置かれてしまう。
私は、ちょっとしたことが本来好きである。最近、できないと思い続けていたことを、今日やった。
やってみると、それはとっても簡単なことだし、きれいになれば嬉しいのに、この半年ほどは、どうしても手を付けられなかった。
だからできていない人にどうのこうのと言うつもりはない。
でも、そういう日常的なことは大事である。
というのもあるが、お手伝いをしていた効用は、むしろ仕事をしてから、あるいは大学時代の部活で発揮された。
お手伝いをすると、段取りがわかる。
これは主婦をしていてもそうだ。
○○くらい時間があったら、これをして、あれをして、という段取りができる。
それはレポートや授業の準備、そして授業そのものを行っていくのにも役立ったし、主婦をしていて、家事のあれこれをどれくらいあれば片付くか?という目安にもつながる。
仕事においては即戦力になることもできるだろう。
よくある、勉強だけしてきた、という誹りを受けることもなく、どういう分野でも活用できる、お手伝いの効用は、進学校の先生方を納得させ、それを教育の場で取り入れられるくらいに素晴らしいものだと思う。
社会に貢献している気持ちを持つこともできるだろうし。