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イザヤ・ペンダサン『日本人とユダヤ人』-読書は相変わらず・・・。

大学時代、2回生の第一外国語の時間のテキストが、ドナルド・キーン先生の『ある日本語学者の告白』とかいう日本人論だった。
その内容が面白いこともさることながら、先生もとんでもなく面白い先生で、隣のクラスの友人たちに、同じ授業を受けていて、時折私たちのクラスからドワッ!?と大きな笑い声が聞こえてきて・・・、と羨ましがられていた。あちらは真面目な授業。
私が当てられて訳していたとき、ふと先生の顔を見上げると、なぜか窓の外を見つめながら、何か思いついたように考えておられた。
いきなり、
そうだ!どこか外国一つを選んでキャッチコピーを作りましょう・・・。
と言い出して、おまけに奥様が広告代理店に勤めているけどそっちで使ったりしませんからね・・・。
などとおっしゃっていた。
私はもちろん大好きなドイツ。
メルヘンの国がなんたらかんたらと書いたのを思い出す。
どうせグリム童話かなんかのイメージだったのだろう。

そのドナルド・キーン先生のエッセイを読めたのはラッキーだった。
日本人とは?日本文学とは?ということを考えさせられた。

その先生はおもしろいのだけれどすこぶる厳しくもあって、24回ある授業のうち、普通は3分の1は欠課になっても落とされないのに、
3回休んだら落とします。
と明言されていた。
それに、1回の授業で文章中に出てきた作品を読んで、次の授業までに読書感想文を出すように、と指示された。
生協に注文しときますからね!
というご丁寧さだった。
おかげで私はそれまで読まなかった土居健郎の『甘えの構造』や中根千枝の『タテ社会の人間関係』、ルース・ベネディクトの『菊と刀』やその他の、自分でなら選ばなかったような本を強制的に読まされた。
それが本当に面白かったし、高校で授業するのにも相当役立った。

そのときに話題には上っていたはずだけれど、いや違う講義でだっただろうか?
イザヤ・ペンダサンの『日本人とユダヤ人』も読まなければ・・・、と思いながら、読まずに来た。
昨年だったか、参加している哲学カフェでも話題になり、たまたまアマゾンで本を見ていたら、サッと情報が入って来て、今だ!と思って注文した。
寝る前やちょっとした時間に読み進めているが、これはおもしろい。
私ときたら公共の場で、時にケラケラと大笑いしてしまったこともある。
これでは幼いときの息子である。
ときに大人しく本を読んでいたのに、いkなり
ゲラゲラゲラゲラ・・・。
と大きな声で笑いだすのである。ちょっと、何が起こったんかいな?状態。
息子になら変な奴!と思えても、自分にも同じところがあると、さぞや周りの人にとっては怪しい人だろうことは想像がつく。

いやおもしろい。
日本人とユダヤ人の違いについては、娘を身籠っていた頃にマタニティ・セミナーでその頭の使い方の違いをお聞きし、私は子育てにちょっと応用させていただいた経験があるけれど、いや、それ以上に、もっとぶっ飛んだ考察でおもしろい。
意識の違いが、1970年に掛かれたというので社会的背景は幾分変わっているだろうに、今でもそうだなあ・・・、と思わされるくらいの鮮やかに描かれている。
それもイザヤ・ペンダサンというのは山本七平と日本人が、この作品の訳者ということにして、実際は山本七平が書いた本のペンネームだったらしいというのも面白い。

こんなに面白いとは思わなかった。
高校生の読書感想文用にお勧めしようかしら・・・?

公開:2023/07/27 最終更新:2023/07/27
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