クリスマスの今日、冬期講習真っただ中に大いに反省ー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム
お節介なことはわかっているし、だいたいそれはご家庭での教育に大いに関わるとはいうものの、今私は大いに反省していることがある。
塾というものの存在意義を考え続けてきたが、私は最初に勤めた学校の影響が大きいのか、人を育てるのが教育というものだと思っている。
塾だからそこまでしなくても・・・。
親ができないことを塾の先生ができるわけないって・・・。
結構身近な人によく言われた言葉ではあるけれど、時折、ああ、こんなことも伝えきれていなかったのか・・・、と愕然としてしまうことがある。
志望校を決める。
もっと言うなら設定する。
どうしたってたいていは自分の実力より高いところになる。
どれほどの努力をしなければならないかということはわかっているはずである。
が、しかし・・・。
人間というものは、どこかにうまくやる方法があるのではないか?と思いがちなように、どこかに行けば、誰かに習えば何とかなると思ってしまう。
それは、それなりの努力をしてからのことである。
もちろん、何かが起爆剤になって、やる気を起こすというものもある。
もちろんそれも私は自分に課しているし、課してきたつもりである。
でも、すべての活動をし、楽しいことも経験し、そういうことに時間を費やして、もしかしたら勉強の時間をそちらに回すようなこともして、今の実力より高いレベルの志望校に合格するということはあり得ない。
スポーツなら、音楽なら、あるいはお料理やお裁縫ならどうしたって、やらなければ伸びないってことはわかる。
それなのに、どうして勉強に関しては、そうそうやらなくてもできるようになる方法がどこかにあるかのように思ってしまうのだろうか?
私は、人がいろんなことに時間を使わなければならないことを知っている。
だから、当然に自分自身にどうしても必要だと思われることをすることまで止めたりしない。
でも、勉強というのは、精一杯やっても到達できるかどうかわからないことに挑戦するのである。
自分との付き合い方を覚えていくものである。
今日、中三の受験生と話していた。
数学がいつもほど解けない、と言っている。
8時間眠ったのになあ・・・、と。
眠り過ぎるとまたそれはそれで頭の回転が悪くなることもある。
そういうの、経験してきているとわかる。
彼は、自分の最適解が分からなくて・・・、と言っている。
そういうほどに勉強しているから言える言葉である。
それほどまでに一生懸命やらなければ合格しないのだということをどれほど伝えられてきているのか、分からなくなることがあって、大いに反省しているのである。
この時期、できるだけ言動は一致させているのが好ましい。
ただでさえ、頭をいつも以上に働かせていたいときである。
曇らせている時間などない。
クリアであることが最も重要なことである。
だから、嘘はもちろん、嘘になるようなことは言わない方が良い。
一つ嘘をつけば、その嘘のつじつまを合わせることに、相当の労力を必要としてしまう。
芋づる式に嘘を重ねなければいけなくなる。
その言動には、どこかはっきりしない、うやむやな、どこか信じていいのかどうかわからないところが出てきて、誰かに協力されようにもされることができなくなるかもしれない。
子どもっぽいかもしれないけれど、この時期は、こと受験に関しては、裏表なく、オープンにさらけ出して、自分の欠点も、反対にできることもちゃんも明示できるようになっていた方がいい。
誰かに負担を掛けさせる分、自分に返ってくる。
受験には神様がいる。
見えない何かが働く。
いわゆるズルいことをしていいことなど何もないのである。