ドSつながりの魔王と私。ー佐藤 健は好みではありませんが・・・。
このドラマ、知ったのは、YouTubeでであって、TVを見ていたわけではないので、断片的にしか知らなかったけれど、アマゾンプライムにあったので、続けて観ていても、とっても面白い。
「恋は続くよどこまでも」である。
正直、私は佐藤健は好きではない。
上白石萌音ちゃんも、このドラマの中で知ったくらいである。
お二人の仲がどうのこうの、と話題になっているくらいのことは知っている。
ただ、このドラマがなぜ好きかと言うと、佐藤健演じる魔王の気持ちに感情移入してしまい、そのあまりに上手なドSぶりに、いたく共感してしまうのである。
教室では幾分、いや、ずいぶん、男子に厳しいようではあるけれど(なぜか女子には甘めになる。子どもたちも、娘には絶対にしないことを、息子にはしてしまっても平気、ということがあった。これは二人の性格の問題のような気もする。)、ここまでドSではないにしても、自分に厳しくない人に向かって、天童先生のようなことを言ってしまいそうになるところはある。
kくんは、私のことを、自分に厳しめ、と言ってくれる。
優しく接しているつもりだけれど、あまりに自分に甘いタイプは苦手かもしれない。
たとえば、自分は努力しないで、他人の、結果だけを見てうらやましがるようなタイプは苦手である。
だから、一部認めはするものの、親ガチャ理論もあまり好きではない。
努力で自分の人生を拓いてきた人を山ほど知っている。
山ほどなのは、私に知り合いが多いからであって、その比率が少なめなのも認めよう。
でも、それを言ってしまったら、誰も向上しなくなりはしないか?と思うのである。
第一、苦労がその人を作るという面もある。
艱難辛苦汝を珠にす、あるいは、若いころの苦労は買ってでもしろ、などということばがある。
天童先生が、最初、勇者の良さがわからず、でも、出会いのときはしっかり覚えていて、どこか心に残っていたのだろう、と思う。その引っ掛かりに気づきもしなかったのかもしれない。ただ、人を助けるという点で、どこか共鳴していたのかもしれない。
人の素晴らしさは、勉強だけでは測れない。
ただ、勉強とは言わずとも、努力はできる。
その努力の方向を、自分の努力の方向がすべてであるとは思わないようにしたい。
でも、そのストイックな魔王の気持ちはとってもよくわかるし、何気に好きでもない佐藤健が素敵に見えるではないか・・・?
上手な俳優さんなんだろうな、とは思うけど、正直好みではないので。
話は変わる。
大学時代夢中になって読んだドストエフスキーの作品に、『カラマーゾフの兄弟』がある。
お決まりの『罪と罰』よりも私は、カラマーゾフがすべてを語っている、と思っているのであるが、その兄弟の中では、堅物で勉強が好きなイワンが好きだったし、そのストイックになろうとするイワンの気持ちに共感して仕方がなかった。
ぼんやりした人よりも、どこかストイックなところのある人に惹かれがちなところが、昔からあった。
どうしようもなく共感してしまうのである。
ただ、「恋つづ」はハッピーエンドで、魔王と呼ばれた天童先生は、自分にないものをたくさんもっている女性と巡り合って、彼はしあわせになるのだけれど、その恋敵に話す言葉が素敵である。
ただ、この仕事があるだけで、何にも持ってなんかいないですよ。みんな足りない何かを補い合いながら生きてるんですよ。
でも、最近、私にもあなた任せの分野があるということに気づいたので、自分に甘い人、と言って、誰かを非難することはできないなあ、とつくづく思っている。
あまりにも潔い人の言葉を聞いて、ある意味、私だって、そこからは逃げて来たよな、と思っているのである。
そういう意味では上白石萌音さん演じる勇者のような勇気も私にはなかったし、結構なあなあなところもあったのだろうと思う。というより逃げてきたなあ、とも思っている。
はっきりしないところが私にもある。
誰も誰かを非難することはできない。
けど、相対的に言って、誰かと誰かがいて、どちらか一方が努力する、というのもおかしくて、私は、そのバランスが取れていてこそ、人間関係は成り立つのだろう、と思っている。