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予備校部に次いで小学部ができました!

昨日から小学部の授業をしています。

1人はしあわせるーむの方でお知り合いになった方でした。
お聴きしてみると、何ら問題なく、しっかりお子様は育っておられる、ということはよくあることです。

実は以前から、もっと積極的に小学生から国語を教えていかなくては・・・、という思いはありました。
ただ、方向性を探るにあたって、慎重になっていた面はあります。

数年前から、教室をどの方向に向かわせるか・・・?とよく考えてきました。
来られる方はすべてどうぞ、という形を取っていた時期があって、どこに行くのかわからなくなりかけたのです。

だから、小学生が大きくなって、中学生になったので、そのままにしているところもありました。
基本的に、こちらから募集をする、という形を取ってこなかったので、どうしても、お知り合い、見つけてくださった方、あるいはご兄弟姉妹、ということからになってしまいます。

数年間、あれこれ勉強してきました。

実は、私はもともと高校教諭、大学受験指導がもっとも好きと言えば言えます。
中学生、高校生では、それぞれ気を遣ったり、気配りする面が違います。
よく言われるのは、高校に入った途端、櫻井先生、厳しくなった、という言葉です。
そりゃあ、そうでしょ。
一応、大学目指して、教室に来てるわけだから・・・。

小学生を指導しなければ・・・、と思い詰めてきたのは、実は、ここ数年の、学力の低下をひしひしと感じていることが原因です。
その大元には、国語力の低下、が挙げられます。
確かに、大学教育では、実際面での教育を含め、英語教育は、以前より徹底されているように感じます。
第二外国語を学んでいない、と聴いて、びっくりしたこともありますが、それでも、英語は、特にコミュニケーション面では、ただの感覚とはいえ、強化されているように思えます。
ただ、私たちの母語である日本語が、年々、若い人たちに通じなくなってきているように思います。
もの言い、比喩、ことわざ、格言などなど、伝えなければならない、また伝えていただいてありがたかった知識的、あるいは日常的に知ってきた言葉が通じないのです。もちろん思考的にも。

それどういう意味ですか?

最近、中学生からのそういう表現が多くなっているように思われるのです。

また、どなたかの論であったのですが、最近の若者は(実はこの表現は苦手なのですが、さすがに最近、使うようになってきました。)、いったん言葉を気持ちや考えを体の中に入れない。

だから、すぐに切れる。

と。

例えば、耳が痛い、だとか、腹が立つ、でもいい。
鼻が高い、目が高い。

などなど、いったん自分の身体の中に入れた表現が多かった。

いったん、というのは、大きい。
間がありますから。
最近は、どうも、すぐに反応してしまって、考える、という場面が少なくなってきているように思うのです。

痛みを知らなくなったのかもしれません。
私たちの世代は、戦争時代の話を、良くも悪くも聞かされて、苦労を耳で聞いてきましたから。
親たちからも、先生方からも。

○○したら、誰かが悲しむ。辛くなる。
そういう考えがなくなってきたのかな、と思うことがあります。

一方で、今の生徒さんたちはとても優しい。

この話を自分の中で折り合いをつけるためにはどうすればいいかということを考えたら、母国語である日本語のすばらしさを実感し、自分でものを考えられる人になってほしい、という思いで、行動することだなあ、と思ったのです。

小さいころから言葉に敏感な祖母と母の中で、いろんな言葉の美しさを感じながら生きてきました。
いろんな話をしたり、人間というものを教えてもらってきました。
これは、祖母かな?
母など、結構理屈屋で、そんなん、おかしいやん!?で終わってしまいます。

とりあえず、言葉の、日本語の美しさをお伝えしたいな、と思うのです。

もちろん、それに続く思考や論理も。

公開:2021/04/16 最終更新:2021/04/16
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