今の時代にそぐわないかもしれないけど?「ちょっと待って!」を言わないで来た私ー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム
毎日冬期講習と通常授業をしています。
そんな中で、普段より生徒さんたちと触れ合う時間が多くなり、その時期だからこそ気付くこともあります。
まあ、言ってみれば生徒さんとの関係性の中でも、保護者の皆様とのやり取りの中でも、毎日発見させていただくことの連続です。
チェリーの中は、ほんまに塾かいな?という具合に、あっちこっちで、
先生~!ココアどこですか?ホワイトがないー!
先生、これ丸付けお願いします!
先生、窓閉めておきましょうか?
先生、ウォーター・サーバーの水がなくなったんですが、私、次のに入れ替える方法が分からなくて・・・。
この中で緊急を要するものはおそらく、「先生、丸付けお願いします!」だけだと思うのですが、指導中であってもなんであっても、とりあえずあれこれあれこれ、私に話し掛けてくれます。
もう子育てしている気分です。
一つには、私自身が、用事があったらすぐに動くようにしているからだと思います。
これは切り替えが良くなるための自分自身での訓練です。
昔、初任の学校での基本は、
気付いたことはすぐする。
ということでした。
私は校長先生の直属の部下で、たくさん上司がおられましたが、寮で生活していたので、寮長先生からもあれこれ教わりました。
人を育てることについては、本当にいろいろ。
女子生徒300人以上をまとめ上げておられた先生の言葉には重みがありました。
とにかく生徒のことで気付いたことはとにかく小さいうちに対処すること。
だから、私は生徒さんに何かあるな、と思った時にはちょっとご本人に聞いてみたり、あるいは親御さんに連絡をしたりします。
たかが塾だと言われても、その生徒さんの人間的成長なしに教科指導がうまく入るとは思えません。
というよりその先に生きる教科指導にならないと思うのです。
ただの詰込みだったら、管理すればいいだけです。
管理には永遠に時間もお金もかかります。
私は、私の手を離れたところでもちゃんとやっていける人になってほしいのです。
それから、これは今時どこかで叱られてしまいそうな話ですが・・・。
旦那さんが、これしてほしい・・・、と言ったことに、
ちょっと待って!
と言わないのがいい奥さんだとも教えられました。
それは子どもに対しても同様です。
変に真面目なところのある私は、それを思い切り実践してきました。
それが正しいかどうかはわかりません。
ただ、ありがたかったのは、私自身は、今自分の手元でやっていることを、ちょっと休めて、もっと言うなら自分の教材研究であろうと、何か文章を書いているときであろうと、誰かが何かを言った時にはさっと立ち上がってそのことをしていたので、ものすごく切り替えが早くなりました。
すっと立って行って、そのことをしてからテーブルに座ったときに、
ああ、途切れてしまった!どうしてくれる!?
というようなことは全くありません。イライラもしない。
それは夫と子どもたちのおかげです。
だからかな?
とある日気付きました。
チェリーの生徒さんは、本当に気軽に、
櫻井先生、○○です!
櫻井先生、○○がありません!
と言ってくれます。
母に話すと、
まるでお母さんみたいやねえ・・・。
というので、
だから、師匠(大阪界隈のビジネス系の人)も会ったその日に、私のこと、「おかん、おかん。」って言ってたやん!
などと話しています
私としては、高校受験だけではなくて、大学受験もあ預かっている予備校講師の気概をもっているので、ときに、
おかん、おかん・・・。
と言われると、どこかで牙を抜かれるみたいで、士気に影響されそうですが、そこは、男子生徒たちに、
私って、基本性格悪いから。やっぱり私、毒舌家だと思う?
などと数学での間違いなどに、きつい指摘をしてから尋ねると、
うーん。ギリ毒舌家でしょうね。ときどきめちゃくちゃ鋭い!
などと言われるので、ちょっとホッとしております。(笑)
中学生が、櫻井先生、櫻井先生、と、しっかりしていたり、それなりに成績の良い子でも、しょっちゅう話し掛けてくれるのは、やはり、誰かに自分に愛情を掛けてもらいたかったり、まあ言ってみればかまってほしかったりしているのでしょう。
私は永遠予備校講師のつもりです。
ときにわかっていないときには黒板叩いて、
何やってんの!?
というくらいの気概はもっています。
今だって、もうそろそろチクチク言っています。
でも、一方では、ちょっとホッとする場所として、安心して勉強できる場所として、自分はありたいと思っています。
まあ、言ってみればかつて多かった三世代同居のおばあちゃんかおばちゃんでいかがでしょうか?(笑)
その子の教育に責任があって、なかなか余裕をもてない親御さんを、ちょっとフォローする存在。
一応子育てが終わって(子育てに終わりがあるのだろうか?)、まあ経験したことをちょっと客観して見られる立場として、いられたらなと思います。
それにしてもうるさい夫というのは、まあ、それはそれで問題なのでしょうけれど、まあ、自分のスキルアップには役立つもので。(笑)
母をして、私たちが若いころ、父の二倍できかないと言われた人の世話をしてきたおかげで、私は随分できることが増えたものです。
今そばにいる母も、私の一日を見ていて、その作業量に呆れるくらいです。
とはいえ、家事に終わりはないので、そうそうできているわけでもないのですけどね!
男性と女性の役割も時代と共に変わり、価値観も大きく変わり、それまでが当然として課されてきたとのおかしさにも社会が気付き始めています。
そのまま次世代の人に引き継いでいいものとそうでないものとがあると思います。
自分たちが経験してきたことを、私たちが経験してきたからあなたたちも耐えて当然、ではなくて、私たちがしてきた良くない我慢も忍耐もそれはそれでちゃんと変えていく方がいいのだと思います。
それでも、若いころにした苦労をいとおしむ気持ちはあり、それは、最近、ブラックだと言われがちな教師という職業にしてもそうで、思い切り一生懸命だった、仕事にのめっていた新卒の頃に自分が学ばせてもらったことをいとおしむ気持ちは同じように心の中にあるのです。
それを求めている人にまで、そうしてはならないというのも横暴な話です。
その折り合いってどこにあるのだろう?
それぞれの求める生き方ができるようになるといいなと思います。