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勝つための勉強だけではない何かについて。

正直、なにかを発言して、影響力をもつためには、ある意味での勝つことが必要になってくる。
そう、自分に勝って、しっかりその自分を活かして社会貢献しなければ、何を言っても、誰も耳を貸してくれない。
それなりの行動しなければ、それなりの実力も持たなければ、何も変えることもできなければ、自分を守ることもできない。
だから勉強する。
けれど、誰かに勝って、有利な就職のために、だけだと、ある意味、持たないのではないか?と思わされる。

たかが自分のためだけなら、人より少々勉強してもあまり意味がない。
何かの、誰かの役に立つから、ありがとうとも言ってもらえるし、そのことから、正直、自分の収入の増えていく、というものだ。

先日、ある業種の会社の代表の人とお会いした。実際は、ある種の契約関係に入った。富山県でのことではない。
富山にいると、みんなが誠実に仕事をしているように思えてくる。

まずは打ち合わせをした、その印象があまりよくなかった。
小さな連絡を省こうとする。では、この連絡はそちらの○○さんからお願いしていいですよね?その○○さんに当たる私はそんなこと聞いていない。聞いていないことを率直に言うと、普通常識でしょ?と言った人がいて、正直呆れた。そう言った人にではなくて、会社の代表の人に。
そして、実行の当日、人の都合なんてお構いなしで、その契約内容が果たされれば、なんでもいい、自分のところが、時間的にも金銭的にも不利を被らなければいい、という態度だった。
今でも不快である。
もう二度とその会社とは付き合わないだろうし、誰かにそちらをご紹介することもないだろうと思った。
そういう小さな心遣いって大事だと思う。
サービス業なのに、そして代表として会社を引っ張っていかなければいけない立場なのに、顧客を大事にしなくてどうするのだろうか?
勝てばいい?お金が入ればいい?でも、そんな態度であったなら、お金も入って来ないよね?と思った。

なぜか親切にされたり、指導においてさえ、その子には手を掛けてあげてしまう子はいる。
先生に胡麻をする、とかいうのではなくて、人を大事にできる子である。
遠回りかもしれないけれど、そして、勉強するときに人のことを気に掛けている余裕はないかもしれないけれど、ニワトリが先か卵が先かわからないにせよ、なぜかあの子なら・・・、ということがある。

今年帰ってきた高2の男子は、一年ぶりの再会で、随分大人になったのを感じる。
何かが変わったのだろう。
そういう、何か、というのは意外に大事だったりするものだ。

公開:2022/05/09 最終更新:2022/05/09
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