和歌から学ぶことは多いし、授業すれば必ず反応がいいという話。-大学受験を目指してはいるものの。
いい仕事されているなあ、といつも思わされる日栄社の仕事。
いつもは問題集でお世話になっている。
買い求めやすい価格なのに、その内容たるや、恐ろしいくらいのものである。
このような問題集を出版していることは誇らしいことだろうと思う。
手っ取り早く効果的な感じのする、いわゆるやった気のする予備校本もそれはそれなりにいいのかもしれないが、英語や国語の本質を伝えるときに、日栄社の問題集にお世話になることは多い。
私は好きである。
どこの大学にでも通用するような内容である。
数年前、灘高校の国語の先生をされていた橋本武先生が編まれたこの本を購入した。
百人一首の本はいろいろ持っているのだけれど、心の通った、ただ、真面目な内容ではなく、
たとえば、
あまのはらふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
という阿倍仲麻呂の歌であっても、遣唐使として唐に渡り、宮廷で李白などとも交流のあった仲麻呂は、ひたすら帰国を願ったが、叶わなかった。
この歌は、もうすぐ母国に替えることができるころに詠んだと言われる。
でも、当時のことを考えると、唐は、先進国で、それは文化レベルが高いだけではなくて、いいお酒もあれば、シルクロードを通って、なかなかの美人もいたはず・・・。
などという解説になる。
人の血が通った国語。
素晴らしい先生だなあ・・・。と思った。
この本を使って、生徒たちに百人一首を教えていたとき、私の言わんとすることが、生徒たちはわかったらしく、阿倍仲麻呂の先進国に行った、興奮や、楽しみなどを実感として、手振り身振りで感じたことを表してくれた。
そりゃあ、魅力的な蠱惑的な美女もいただろうねえ・・・。
私は、受験のための国語を教える。
でも、こういう内容のない、ただ点数を取るためだけの国語なら、自分の中に入っていくのは、ある種の苦行になるだろう。
けれど、同時の人々の心を感じたとしたら、国語なんて、次は何来る?という面白い教科になると思う。
それが証拠に、理系の男子が多いチェリーの男子たちでさえ、国語って面白い・・・、と思い始める。
最近、漢文を読んで、笑ってくれるようになった生徒がいる。
最難関の高校のうちの一つである灘高校で、こういう授業をされていたのだなあ・・・、と感慨深い。
本当の国語がここにある。
また、本質に触れると、物事はスルッとわかり、結局理解力も高まり、どの教科を学ぶにも省力化できるというものだ。
楽しくなるし。
東大などに合格した学生たちは、決まって、そんなに勉強したとは思わない、というそうである。
それは勉強が楽しくなって、中毒するから。
勉強なんて、楽しくて、中毒するくらい楽しいもののはずである。
苦行なわけない。
だいたい、大きく伸びる子たちは、どこかでおもしろくなる事典があるようである。
僕、ある時から、勉強、楽しくなったんですよ!
こんな言葉を何度か聞いてきた。
これが受験のあるべき姿であると思っている。
こちらが言わなくても、やってしまうくらい楽しいものにするのが私の理想とする大学受験指導である。