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国公立二次試験中期に向けてー『方丈記』「養和の飢饉」に改めて感動していたことー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム

国公立大学二次試験の前期試験が終わって、今は中期試験のために国語の指導をしています。
二次試験のための本格的国語の指導はちょっと久しぶりで、いかにこのところ英語や数学を指導してきたかということを思い知らされています。

まあ、ちょっと心ときめくところもあろうというもの。

過去問を解いていて、その問題を選択するのにもこちらの技量が試されるとことはいえ、その大学は、どうも災害について、貧困についてなど、社会問題について考えさせられる問題を出題されるようで、観念的な川端康成の作品についての文学論があったり(とはいえ、今回は具体を語っており、そうそう抽象的ではなかったのですが。)、これはやっておかなければ、と思って取り組んだ中に、鴨長明『方丈記』の「養和の飢饉」がありました。
何度も何度も読んできたはずなのに、今回はことさらハッとさせられる部分がありました。

いざとなって、都に食料が上ってこないという状況は、本当によくわかります。
みんながそれまでの体裁をかまっていられなくて、お金より食料の方がもちろん価値がある。家を壊してまで薪の料として売るならまだしも、神社仏閣まで壊して、その中のものを売る始末。
都はいったいどうなっているのだろうか?

そんな中しみじみとした人間らしい描写が続きます。

しみじみとしたこともある。
離れがたい妻や夫と一緒にいる人は、その思いが強く、必ず先立って死ぬ。なぜならば、たまに手に入れた食料を我が身のことは後にして、愛する連れ合いに食べさせるからである。相手をいたわり、一生懸命に思ったがゆえに、相手に譲るのである。
それならば親子ならばそれは決まりきったことであり、親が先立つのである。また、親が死んだことも知らずにいたいけな幼子が母親に添い寝したまま、一生懸命にお乳を吸っている。

いつもサラッと、災害の場面としてほかの場面と共に読んでしまっていました。
どうして、今日に限ってこれほど私の胸に迫ってきたのでしょうか?

先日から、災害について考えていたからでしょうか?

自分が食べなくても連れ合いや子供に食べさせる・・・、というところに、もうめちゃくちゃ具体的な様子が目に浮かんで、そんな極限状態で愛する人を先に・・・、と思うその心に、その人に、感動してしまったのだと思います。

たった一人でいいから、そんな人に、一生のうちに出会えたなら、確かに自分の命など差し出してもいいと思うだろうなと、つくづく思ったのです。
我が身を賭して、誰かを全身全霊で守る。
そんな愛に巡り合ったら、男女であれ、親子であれ、その一生は本当に素敵なものだと思うのです。

何度も何度も読んできたはずの『方丈記』で、なんで今さら、ここに感動したん?と自分に問うているのですが、どうも最近、鴨長明に共感することがあり、というか、なじみの兼好法師にも劣らぬ親しさを感じ始めたのか、どうも・・・。

突然、具体で迫ってきて、その作品世界にのめり込み(どの作品にものめり込めよ!と自分にツッコミを入れていますが。)、その感動があまりに迫ってきて、今私は、その具体的な夫や妻や母や乳飲み子が迫ってきて仕方がないのです。

具体的に思っていることとつながってしまったのかしらん?

公開:2025/03/04 最終更新:2025/03/04
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