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国語が専門なので、読書三昧も悪くはありませんが・・・。

大学の編入試験の指導をしていて、その生徒の入りたいゼミの先生の本を拝読した。
その影響で、その先生が一緒にパネラーをしておられたとかで、古市憲寿さんに行きついた。
話題の人だということくらいは知っていたし、評論でその人の文章を読んだことはあった。
そして、いつ知ったのだろうか?
芥川賞候補に2回もなっていた。
文章を書くことを生業とするものにとって・・・。
おっ!?私ったら、原稿料を数回もらったことしかないくせに、大きく出ましたが、そりゃあ、文章を書くことが好きなものにとって、そりゃあ憧れの芥川賞、候補になること2回。
それも大学のAO入試では詩を書くことをアピール。
私は詩は苦手だけど短歌は好き。
いやいや、何を張り合っているのだか・・・。(笑)
ということで、このゴールデン・ウィークに突如私の人生の中に登場した作家、その名も古市くん・・・。

いいなあ、芥川賞。
ということで、とりあえず作品を読んでみた。
まずは『奈落』。なかなかセンセーションなるな話題だった。
でも、次を読もうと思ったのだから、それなりに響くものがあったのだろう。
『平成くん、さようなら』の方が心に響いた。
『ヒノマル』は泣いた。
『千の夜は跳ねて』に至っては、結構古市ワールドが感じられるようになってきた。
そのほかの新書なども読んだ。
時折時系列に添って発言を読んでいると、確かに矛盾したかのような発言も、ここでそれ言う?と思われる発言も見られる。
ただ、人との付き合い方において、私は大きく頷けるところがあった。
そうだよね。無駄に対立してもいいことない。
それは、『ヒノマル』での主人公の兄、優一が勇二にそれとなく諭す言葉がある。
作品中、最愛の兄を亡くし、体制とも向き合い、主人公は大きく成長を遂げる。
古市作品の中には、作者の思想も研究対象も、そして実際に共にしている人たちも登場したりする。
でも、それらは文学を描く中での材料でしかない。
その研究対象も、事柄たちも、作品の骨組みにはなるが、人を描くために使われているだけだと思う。
人間を描くことがとても上手い。

ということで、先日夢の中に登場した古市くん。
生徒にはどういう状況だったかを話して、大笑いされた。
本当のことを書いたら、炎上しそうである。(笑)
これも有名税だと思って・・・、いや、許されそうもない夢だった。

インスタだったか何かで、林真理子日大学長に呼ばれて講演してきました!とあり、常々、その作品やエッセイを読んで、不遜にも、真理ちゃん・・・、と呼んでいる私は、
ウソ!?学長になったら古市くんとツーショット!?できるん!?
と教室で叫んでしまい、これも女子生徒に笑われた。
男子学生がすかさず、
先生もなれますよ!
と言ってくれた。
すぐさま
なれへん、なれへん!
と言いながら、私が羨ましいのは古市くんの隣に立って写真が撮れることなんだから・・・。
と思いながら、それにしても、ほんっと真理ちゃん、きれいになられて・・・、とウットリしてしまう。
林真理子先生は、私よりも結構年配だから、まだまだいけるかも?
ちょっと磨きを掛けたら、私もいつか古市くんのそばに立てる日も来るかしら・・・。
そういう問題ではなかろう・・・。(笑)

それにしても、古市作品には、切れ長、細い目、吊り目の男性が特徴的に出て来る。
涼しい切れ長の目の古市くんは、あの涼し気で、賢げなご自分の目が好きなのだと思う。
嫌いで作品になど書けるかしら・・・。

などと、好みのタイプでもない古市くんに、今はぞっこんである。
さて、次は何を読もうかな?

公開:2023/05/14 最終更新:2023/05/14
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