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変わりたいとき・・・。

変わろうとするとき、一度決意をしても、それは揺り返しが来て、また揺れることってあると思う。

受験とお付き合いしていると、生徒さんたちが選択を迫られて、つらい想いを乗り越えようとしているのを横で見守らなければならない時もある。

そんなこんなで自然と自分の青春時代を思い出さされることが多い。

自分で言うのもなんだけれど、結構真剣に悩まなければならない選択をしてきたことが多い方ではないか?と思う。
残念ながら、か、それともラッキーなことになのか、自分でもわからないけれど、恋愛方面でそういう選択、だとか眠れぬ夜を過ごした、という経験はないのだけれど・・・。

一番心に残っているのは、大学時代、応援団吹奏楽部を辞めたことだと思う。
卒団するまで四年間続けたら、大学から感謝状を贈られるほどの活動だった。
語学の時間と野球応援が重なったら、公欠願いを出して、球場に行っていた。

正直、青春していた。
楽しかった。
いろんなステージに立たせていただいたし、これが、あの○○のホール?と自分でも驚いたりもしていた。
内気だった自分がなんでこんなところにいて、なんで一番目立つ楽器やってるのだろう・・・?と思っていた。

大阪から京都に通っていたこともあったし、時間的なことももちろんあったのだけれど、やはり何より、大学に入ったのは教諭になるためだったのではないか・・・?と思っていたので、このままでは教師になるだけの専門性を身に着けることはできないままになるような気がしていた。
かと言って、部活をしないで済むほど人間関係の中でやっていけるようにも思っていなかった。
だから、人間関係の中に身を置くことを求めてもいたし、やはり音楽の中にいたかった。

父は、大学からさっさと帰ってきて、家のお手伝いをするような、いわゆる日本女性らしい生活をしてほしかったようだった。とんでもない進学校へ行ったのもちょっと不満なのに、男子学生が大方、みたいな大学に入って、ますます生意気になるのではないか?と思って真剣に心配してくれていたようで・・・。
そういえば、同級生で、私の将来をチェックしてくれる男子がいて、将来の夢を書く欄があると、確認され、「よしよし。」とうなずいてくれたのだけれど、その時の私の10年後は、「優しい旦那様に尽くし、三人の子どもたちに囲まれている専業主婦」と書いていたのである。(これは子供が二人になっただけで、きちんと夢としては叶っていた。)

でも、その彼がチェックしたその数年後にはおよそ家庭的らしからぬ生活をしていた。
パンツルックにショートカット。太鼓をたたいていたときと同じく、生活指導で走り回っていた。

モテるためにおしゃれなんかしない私が、指導力が上がる、とそそのかされたら、髪を伸ばし、ウェーブをかけ、フリフリと可愛いブラウスにフレアースカートをはくという現金ぶりで、仕事のためなら、私を釣るのは簡単!思えば演奏を評価してくれたから釣られたような・・・。

私が占いを信じない理由は、ここにある。
私は、大学時代、教員になっていいのか悩んでいたのである。遠距離恋愛をしながら、このまま採用試験を受けていいのか?
占いに行くときの悩みの種はいつもそれだった。
梅田で、河原町で(今日から京都河原町になるそうだけれど。)、占ってもらうのは、それだけ。
その人と結婚できる、と言った人は、教員にはなれないだろう、で、教員になるでしょう、と言った人は、その人と結婚しないでしょう、大阪より東側の理系の人と結婚する、と言われたので、全部嘘やった、ということになってしまったから。(しかも金沢とかの・・・、とえらく具体的に話されて・・・。いや、金沢には住みましたけれど・・・。)

私は、教員になり、その人と結婚したのである。
まあね、遠距離恋愛だったから、まあまあもったわけです。
でなかったら、おそらくは仕事の邪魔になって、途中でやめていたに決まっている!
という話を最近生徒によくしているような・・・。

なんで、その人にチェックを入れられなければならなかったのかは知らないが、キャリア・ウーマンにになりたい、とでも書けば、叱りつけるつもりだったんだろうと思う。私のことを「いいお嫁さんになると思う。」と言ってくれていたから。
彼は今、金沢にいる。
こんなことしてるの、バレたら怒られるかもしれない・・・。俺が先輩に頼んでやったのに!って?

というわけで、私は、三回生になる前の後期試験の後、さんざん悩み続けた挙句、部活を辞めた。
そのあとは大変だった。
生活の中心にある部活がなくなって、これで大学出て仕事に就けない、となったら、何のために大学行ったのか?父にそれ見たことか、女は・・・、と言われるのではないか?と思って必死だった。
しかも国文学なんて、一番就職がない。その割に真面目に就職活動したけれど・・・。

結局は、国語、という教科についてもそうだけれど、部活をやっていたから、もつだろう(まだ、嫁に行く前の仕事だと思われていたようで・・・。しかも私は一生働きたいと思います!と半ば本気で半ば嘘ついてる気分で、面接で答えていた。)ということで採用されたようであった。

今、進路で悩んでいる生徒さんを昨日叱りつけた。
今の楽しい気持ちと、一生をどう考えるの!?
本当は意志を尊重したい。
でも、負け癖をつけて世の中に出したくはない。
どんなに強くたって、若いころの失敗を、人間は乗り越えることがなかなかできない。
受験で不合格、が必ずしも大きな失敗には周りからは見えなくても、結構気にするものなんだなあ・・・、と最近、痛いほどわかるようになってきた。その後の人生に、結構大きく影響することもある。
でも、わかりすぎてしまってはできない仕事である面もあるから。
なんで生徒さんに介入しなければならないのか・・・?

ある程度その答えが最近見つかって、私も仕事がずいぶんしやすくなってきたような・・・。

公開:2019/10/01 最終更新:2019/10/01
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