大好きな『老子』
本をあちこちに引っ越しさせるので、その過程で、どこかに行って、なかなか出てこないこともある。
大事な一冊なのに、書棚の生理をしていて、どこかに行ってしまっていた『老子』の本を久しぶりに再会した。
かつて大学の二次試験の問題を読んでいて、出会った老子の思想。
それ以前に倫理社会の授業で、あるいは漢文の時間に、授業を受けて、ちょっとだけ触れていたものの、そして荘子ほどには馴染みがなかったが、読んでみると、それはまあ深くて広い。
逆説的な表現も出てくる。
大国は下流に位置するべきもの。
天下の流れが交わるところであり、天下の女性的なるものである。
女性は、いつでも静かであることによって男性に勝つ。
そもそも静かであることによってへりくだるからである。
だから、大国が小国にへりくだれば小国の帰順が得られるし、小国が大国にへりくだれば大国に受け入れてもらえる。だから、へりくだることによって帰順をえられるものもあり、へりくだることによって容認を得られるものもある。
中略
いったい、両者がそれぞれ望むことを実現しようとするならば、大きいものの方がへりくだるのがよろしい。
などとちょっと難しいことを言っているように見えて、その実、ああ、そうだなあ、と思わされる。
論語のようにわかりやすくはないが、生活することからの知恵を働かせて生きていると、ここに行きつくのかなあ・・・、と思わされることでもある。
私は、少しでも迷ったとき、『老子』が読みたくなる。
また、生きることとは?と思ったときは、ヴィクトール・フランクルの書物を読む。
読んで、ハッとするほど感動した時、いや、心に入ったとき、ああ、しあわせだ、と思えるのである。
公開:2022/10/30 最終更新:2022/10/30