大学受験国語で、よく登場するのは・・・?蓮です。
古文でも漢文でも、本当によく登場する蓮。
なんでも蓮は、その咲く場所が泥水であればあるほど、きれいな花を咲かせるということだ。
また、蓮ほどなんにでも使える植物はないということで、まるで有能な人物のようである。
植物は、幹が使えても葉が使えない、とか、種は使えても、花は使えない、とか、いろいろ使い道が別れるのに、蓮ときたら、何にでも使えるそうで・・・。
まるで会社のどの部署においても使える人、のようである。
また、どこに行ってもそれなりに仕事ができる人物のようである。
ある漢文の作者のように、私も蓮を敬愛してやまない。
泥水は苦難に喩えたら、艱難辛苦汝を珠にす、ということになるだろうか?
何の苦労もせずに身に着けられるものなどない。
どこか自分がちょっと苦しい思いをし、ちょっと背伸びもし、恥ずかしい思いもするようなところを通り抜けなければ、誰も成長しない。
環境に恵まれ、何もかも揃っているかのような人を羨むむきもあるが、私は、何もかも揃っていたら、きっと退屈してしまうタイプである。
ビジネスの世界でも(ビジネスをしたいと思っている生徒さんがおられるので。)、お金がないからできない、という人は、お金があってもできない、と言われる。
とにかく、苦難は成長の糧である。
勉強時間がたくさんあって、あとは全部整っているというような環境だけが恵まれているとは言えない。
どこかに自分で工夫する余地がなければ楽しくない。
時間も足りない、お金も足りない、ちょっと難しい、というくらいの間を一生懸命に工夫するくらいが楽しい。
一冊の参考書、問題集の価値が、高まるのはそういうときだ。
これしかない、となれば、そこから学べるだけ学ぼうとするだろう。
とにかく、ショートカットできるものなどない。
一旦は、その中にどっぷりと浸かり、睡眠時間とも闘いながら、工夫しつつ勉強していくところに喜びがある。
と言いつつ、国語や数学、英語など、人の手を借りる方が進むものもある。
自分で最大限の努力をしながら、人の手も借りる・・・、というのが、一番身に着きやすいのではないだろうか?
制限を自分の方に味方につける力。
そういうものを身に着けてほしい。
私の新卒の時の職場は、社会人としての基礎を作ってくれた。
大変に制約があり、大変だったけれど、鉄は熱いうちに打て、と言われるように、私は、新卒で、あのとんでもなく忙しい環境に身を置けたことに感謝している。