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大雪でもあり、体調管理が大変な時期です。高岡の個別指導塾 チェリー・ブロッサム

先日からチェリーの生徒さんで体調を崩している生徒さんが多く、ちょっと心配です。
大学受験生は試験がもうすぐだということもあり、割と元気に通ってくれていますが、高校受験組はちょっと疲れが出てきているようです。

私自身の大学受験の年も、大阪には珍しく大雪で、2月になってもう高校には出席しなくてもよくなっていましたが、私大受験のためや高校に行くなど外出しなければならないときには、その寒さに決まって熱を出し、お腹をくだしていました。
体調を崩すと、精神的にも参ってしまいます。
それほど受験って大変なものなのだと思います。

高校受験は、もっと大変でした。
私立を二校押さえていたのですが、本命は公立。京都と違って当時も大阪は私立より公立が優勢でした。最近では京都も公立がかなり躍進しているようですが・・・。
私の受験は大騒ぎ。
もちろん目指してはいましたが、それも誰もが言う程度に目指していた高校に、担任の先生がどうしても入れようと思っておられたらしく、競争意識があまりない私に、要するにコツコツ目の前の努力をするしか能のない私のために、美術がとんでもなく悪かったので他の学年団の先生方が、一つランクを下げた高校なら余裕なのにとおっしゃる中でなぜか強引に受験させられる羽目になり?なんやらわからないながら、父に、

お父さん、公立、私、美術が相当悪いせいで受験危ないんですけど、どうしても受験したいので、落ちたら京都の私立に行かせてください。

と頭を下げ、それまで何とか波風を立てずに生きていたいと思っていた私が、最後の最後、先生方を振り回すようなことになってしまったのでした。

自分の人生にこんなことが起こるとは思ってもみませんでした。
ほどなくして、女子の定員割れが発表になり、先生方はホッとされていたと思いますが、その後、妹が水疱瘡に罹り、ちょうど潜伏期間を数えると、受験当日にばっちり当たりそうでした。
いくら何でも、当日の成績が相当悪ければ落とされます。本人のためでもあります。

何とか当日まで水疱瘡には罹らずに、受験できましたが、なんやらふらふらするのです。得意の国語もいまいちでした。数学もどうもよくなかった気がする・・・。

受験が終わった翌々日、熱を出し、ぽつぽつお腹に湿疹が出始めました。当日熱があったみたいです。
辛くも受験できましたが、それでも私の受験は失敗だったかもしれません。
花紺の、似合いもしないブレザーを着て、京都の学校まで通うのか・・・。いや、そんな自分の姿は目に見えない。
だいたいブレザーが似合わない。第一通学20分の学校しか寝坊の私には無理そうだし・・・?

いろんな思いが去来しましたが、合格発表までに私は相当熱を出し、父が氷を買いに行き、私はうわごとを言っていたらしいのです。
母に言わせれば、何やら詩を暗唱していたらしく、どうも熱を出しながら創作をしていたらしいのです。(笑)

合格発表の日は、母一人で行きました。
最寄りの駅をとぼとぼ意気消沈した母の姿が目に浮かびました。

帰ってきた母は、なあんと、

合格してたよ!

とのことで、私はめでたくセーラー服を着ることになり、通学時間20分の学校に通うことになりました。

驚くことばかり。正直価値観の転換をしなければなりませんでした。

数学の先生に追いかけまわされたことも、柄にもないのにドラマーをするしかなかったことも、なんでこんなことになるん?ということばかりでした。
あまり目を付けられることがなかった私が、先輩の指揮者とはやるやる。対立構造ばっちり!
みんなの面前で、あまりの先輩のやり方のひどさに、思い切り談判したこともありました。

現役でなぜか大学生になり、そして、いろいろな採用試験では、なぜか高校時代に苦手だと思っていたはずの数学が良くできて、周りから、

数学得意だった?

とよく聞かれていましたし、アルバイト先の個別指導塾では、文系なのに、高校生の数学を担当して、なぜか重宝がられていました。

最近では、受験生の二次数学も見ているし、高二生とは数Ⅲも一緒に取り組んでいます。

当時も微分よりも積分の方が簡単に思えていたように、今もなぜか積分に惹かれる自分がいたりし、それでも先日は計算を間違えて、家に持って帰っていつまでも計算をし直していたりもしていました。

いつも思うのは、母校の先生方のお力です。
数学が苦手だったはずの私でも、数学を解いて、人に教える程度には身につけさせてくださっているのですから。
それに少々得意なものがあっても、絶対に誰か自分よりできる人がいてくれるということが、一生勉強をするという姿勢を見に着けされてくれたのだと思います。

英語もまだまだ。
専門の国語だって、本当にわかっているのかどうか。
数学に至っては、まだまだこれから。

と思っていつまでも勉強しなければと思わせてくれるのは母校のせいです。
結果を出さなければならなかった当時。本当に厳しい世界だったと思います。

ピアノもまだまだ。
お料理だってまだまだ。
洋裁に至ってはもっとまだまだです。(笑)

と一生学び続けることになるのはきっと母校のせいです。
だからいろいろな種類の本が増えます。たくさんまだまだがあるからです。

いろいろな先生方の自分を思ってくださったその思いに、応え続けて、そして若い世代を支え続けていきたいものです。

もう天国に召されていらっしゃる、高二の時の担当だった特に厳しいと噂のあった数学のC先生が、きっと、

数学科で有名やったあいつが、数Ⅲ教えてるわ・・・。

と大笑いされ、ご自分の教育が間違ってはいなかったと、ホッとしていらっしゃることでしょう。

さてさてチェリーに通ってくれている生徒さんたちには、これからどんな出会いがあるのでしょうか?
幾分恨みがましい気持ちももちながら、でもそこでしか出会えなかった人たちとのことを思うと、それはそれで母校との出会いは運命的必然のような気がします。
高校受験も大学受験も採用試験も、いつも私にはあれこれ波乱があるのですが、どうも学ばせてもらうには本当に適したところに配置ーつまりは相当に苦労させていただけるところに行くことになっていたような気がするのです。(笑)
というより鍛えてもらいたがりなところがあるのです。

出会いには意味があります。
その行くべき場所へとちゃんと導くのが私の仕事なんだなと思っています。

公開:2025/02/10 最終更新:2025/02/10
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