指導させていただいている期間、何度も続ける進度指導。
数年お預かりして、特に高校受験を共に乗り越え、大学受験、あるいは看護の場合などに、専門学校にするかどうか、そもそも大学にするか、専門学校にするか、そして、看護にするか、ほかの方向に進むか?などなど、成績を見ながら、その都度意思の確認をしながら、何度も何度も進路指導します。
なぜなら、私の考える塾というのは、合格させればそれでいい、という性質のものではないと思っているからです。
大学に入ったものの、とても着いていけない、ではいけないわけです。
また、もっと高みを目指せるのに、小さく収まっても行けないし、可能性は引き出さなくてはなりません。
時には、この子、○○に向いているのではないか・・・?と思って、そちらの方面に導くこともあります。
文系の場合、国公立に進むか、私立専願にした方はいいか?
ここは数学の出来具合が大きく関わってきます。
理系の場合だと、私立を受験するだけの余裕があってのことか、それとも国公立一本になるのか?滑り止めはどうするのか?
そのときになって、できない希望をもたせるのは良くないので、できるだけそーっと情報をいただいておくようにしています。
それぞれのご事情もあって、さて受験するときになって、そちらには行けない、ということになってはいけないし、そこで初めて現実と向き合う、などということがあってはいけないからです。
生徒さんに一番合った進路を共に探していきたいと思います。
そんなことを目指すのは、私が学校での担任の先生に恵まれていたからだろうと思います。
特に3年生の時の担任の先生に。
人は誰かに受けた恩は、誰かに返したくなる、というものです。
人に冷たい人というのは、人間関係に恵まれてこなかった人なのかもしれません。
中3の先生は、周りの先生方と対立してでも、私を母校に入れたがってくださいました。
美術一つが極端に悪くて、とんでもなく足を引っ張っていたのです(そもそも5教科以外の科目が好きではなかったし。))。
私という人間を見込んでくださったのでした。それはある日の放課後のできごとが原因で、こいつなら、絶対合格する、と思っていただいたらしいのです。そんな信念、どこから来るのだろうと不思議です。
高3の担任の先生は、それぞれの生徒の家庭の事情にまで(一学年に470人もいたのに。)心を寄せて、進路指導してくださっているのが、そのお話からよく分かっていました。あまりに熱すぎて、また、親身すぎて、誤解している友達もいたけれど、誤解した子は、当然に行きたいところは不合格になっていたのがどこか辻褄が合っているようでした。
浪人した生徒には、これくらいしかできないから・・・、とご自分から、励ましの年賀状を出しておられる、ということでした。
もし、第一希望がダメだったら、浪人する・・・、と言ったとき、浪人するんやったら、今時教員になるのに浪人する人おるんやから、その時にしい。心理学は自分でやったらいい。国文にしとき、みたいに、いろいろ教えてくださいました。
どこかに同じ方面に進んだからか、私は先生の姿を追いかけています。
遠く富山県にいても、テキスト会社の人と、先生のお話をしたこともありました。
記憶の中には、どこかに心に響いた瞬間というものがあるものです。
それをどう受け止めるかは人それぞれなのだろうと思います。
でも、どこか教育の方面に進んだ私は、先生方の、素敵な姿を追いかけてしまうのです。