数学に取り組むたびに思うことー高1数学で・・・。
最近、11月の模試に備えて、もし対策をしておられる高校があり、当然のごとくこちらもそれにお付き合いする形で指導させていただいている。
国語や英語もそういう面もあるけれど、何より数学で大事なのは演習である。
数学が好きで、とにかく解くことが好きなタイプは、そうそう演習をしなくてもできるかもしれないが、数学に特別な親和性を持たない普通のタイプは、とにかく演習が大事である。
模試の過去問を解いていても、少しずつ進め、ひとつわかっては、完璧になるまで演習をする、ということを繰り返す。
もう、しつこいくらいに、私はしっかりわかるまで演習をしてもらう。
いい加減な理解のまま、次の分野に進んでも、いい加減さを重ねるだけで、しっかりわからないことを積み上げていっているようなものだからである。
一つの分野について徹底的にできるように取り組んだら、その次の分野でできることも多くなり、発想力も着いてくる。
こちらも一緒に解いているので、ああ、ここがわかりにくいな、と思ったり、あるいはここで間違いやすいな、ということもわかってくる。
一方国語は、結構追い詰めるくらいに、徹底的に自分で考えさせることもある。
解説を重ね、読み取りはかなりできるようになってきた場合、解答を作成するときに、少しずつヒントを与え、とにかく解答作成を自分でさせるように努める。
やり方、なんて、国語には通用しない。
むしろ数学の方がやり方で何とかなる場合もあるかもしれない。
英語は、やはり覚えていないとどうしようもない面がある。
よく就職活動の折に、なぜ採用試験に英語が課されるか・・・?という問いに対して、一番努力ができるかどうかがわかるから・・・、というものがあったけど、私も本当にそうだと思う。
数学や国語ができても、それは努力しているかどうかは判断できない場合もある。天性のもので乗り切っている場合があるからである。それに比べて、英語は、天性のセンスがあったとしても、やはりコツコツ努力しなければ身に着かないものだからである。
古典文法もそうだけれど、英語も、辞書を使いこなせることができて、文法書を使いこなせるようになったら、かなり力が着いて来ていると思う。
英単語帳や古文単語帳などを使うのもいいけれど、何度も読解の中で辞書を引き弾きしっかり頭に入れる作業をしていると、単語帳などなくても、その都度しっかり理解できれば、結構意味は入る。
とはいえ、方法論に走りがちなのが人間だと思う。
受験勉強にのめるとき、ある種の落ち着きが必要で、取り組むことを細分化し、今日はこれだけ、というものをしっかり決めて、あちこちに気持ちが向かないようにすることが大事だと思う。
その落ち着き方を説いている面もあるのがチェリーかもしれない。
落ち着いて、一つ一つのことを進めることができるようになれば、勉強はしっかり捗るから。
それがわかってくると、成績は上がる。
体感できると、楽しくなってくる。