新任の先生への気持ち・・・。新入生への気持ち。
北陸に初めて来た25の春、忙殺の学校現場にいた身としては、完璧専業主婦の生活は、なかなかリズムが掴めずにいました。
ほどなく娘を身籠って、体調不良もあったのかもしれません。
同じく新婚の嬉しそうな奥様に比べて、私ときたら、なんだか仕事に恋々としていました。
そんな時、歩いてお買い物に行くと、近くの小学校から、小さな一年生を連れて、これまた、背は高いけれど、新任だと思しきまだ若い男の先生が、一生懸命、声を掛けながら、少し照れながら、そして嬉しそうに緊張している姿が愛おしくて、また、とても羨ましかったのです。
自分が新任の教師として、教壇になったのは、それからわずか3年前でした。
それは事情が違って、自分より体格の大きい生徒さんが大半の中で、配属された高校部の中で仕事を始めたばかりでした。
初めての一人暮らし。でも、330人もの寮生を抱える大きな寮の中でのことでした。
自分たちが寮での規律を守っている分、当然私たちにも同様な規律を求められます。
大人だから無理と言えば無理。
無理を何とかしていくのが自分の力量と言うものです。
いろんな人に相談しながら、毎日を過ごしていました。
今、22歳のお嬢さんを見るとき、ああ、私はこんな年で、偉そうに教師面をしてたのだな、と感慨深いものがあったりします。
今年大学院に進学することが決まったリケジョの卒業生たちを見ていると、それも感慨深いものがあります。
しっかりしていて、教壇に立ってもなんとかなりそうな風情です。
いきなり図書館、生活指導、なぜかひょんなことで吹奏楽部の顧問になって、寮生活もあり、そして、これはありがたいことに、とんでもなく国語の授業をもたされました。
若いときに鍛えられるのはいいものです。
もう、限界を超えた忙しさだったし、遠距離恋愛だったからよかったものの、今で言う婚活なんてできっこない生活でした。
それでも仕事が好きでした。
相手がいなかったら、このまま教育の世界で生きて行こうと思っていたのに、たまたま相手がいたわけです。(笑)
学校現場からも、両親の方からも、そして親戚や、困ったことに行きつけのお店からもお見合い話がありましたが、堅い両親は、一人の人とお付き合いしているのに、お見合いするなんて言語道断!(特に父はうるさかった。)ということで、そういうこともせずに済みました。(笑)いや、してみたかったかな?
なんでも経験です。
走馬灯のように過ぎ去った3年間。
思い出せば思い出すほど、それは充実していて、自分を育ててくれました。
だから、ひよこのような可愛い一年生を連れた、若い信任の先生が、もう、羨ましくて羨ましくて・・・。
それは高岡に来てからもありました。
高岡市役所の隣は志貴野中学校です。
何かあって市役所に行けば、学校があります。
学校を見るごとにいつも、懐かしく思っていました。
今年もたくさん新任の先生が誕生するのだろうなあ。
そして、たくさんの一年生が、小学校と言わず、今ごろ心ときめかして、入学の日を待っているのだろうなあ、と想像しています。
娘が、中学校に入学した時の学年主任の先生が、
12年間、手塩に掛けて育てられたお子様をお預かりして・・・、とおっしゃるのをお聴きして、その言葉の重さに、私は思わず涙ぐんだのを覚えています。
手塩に掛けて育てた、本当に大事な娘でした。
なかなかにいろいろありました。転校もいくつもさせたし、里帰り出産のために、楽しかった幼稚園が、戻ってみたら、自分のいない世界が出来上がっていて、人生最初の挫折を味合わせてしまった、とも思いました。
最初の二つの学校では、小学校の先生とうまくいかなくて、先生とうまくいかなければ当然お友達ともうまくいかなくなるし、心配した娘でした。
もちろん、一斉授業の中で、なかなかハマらないタイプであることはわかっていました。
でも、学校現場で、自分が生徒に合わせてきた経緯もあるから、どこかで、先生にも不信感めいた気持ちもあったことでしょう。
苦情は言いませんでした。
ああ、わかってもらえないな、と思って、サラッと面談の最後を差し障りのない言葉で、ご挨拶して帰ってきながら、ひと夏ノイローゼのようにになったこともありました。
娘が小学校三年生の一学期の面談で、
気の強いお子さんもいますからねえ・・・。
あれは今考えても、学校で言われるべき言葉ではありませんでした。
娘は、不当なことでなければ、おかしなことは言いません。
あなた、女の子でしょ・・・、というような発言や、たぶん、娘なりに、違う、と思うものがあったのだと思います。
私でも、そんな担任の先生の下でなら、私なら、かな?逃げの一手で過ごしただろうと思います。
次行くところでは、娘を理解してほしい、といつも切に願ってきました。
でも、責められれば、何が悪いのだろう・・・?と思います。
自分の方のDNAだけではないし、環境のせいだけでもない。
でも、子どもにうまく行かないことがあると母親は自分を責めてしまうものだと思います。
今振り返ってみて、反省するところもあるし、いや、やはりあれは私の方ではないな、ということもあります。
でも、振り返ればみんな思い出です。
そして、思い出は変えることができます。
今の自分によって、塗り替えることができます。
その方法はよかったら、チェリーにいらして、私からお話しさせてください。