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日本歌曲の美しさー『夏は来ぬ』

最近家事をしながらつい口ずさんでしまう歌があります。
小さいころ住んでいた祖父母と同居していた家の居間でテレビCMで流れていた歌です。

夏は来ぬ

卯の花の、匂う垣根に
時鳥、早も来啼きて
忍音もらす、夏は来ぬ

さみだれの、そそぐ山田に
早乙女が、裳裾ぬらして
玉苗植うる、夏は来ぬ

橘の、薫るのきばの
窓近く、蛍飛びかい
おこたり諫むる、夏は来ぬ

楝ちる、川べの宿の
門遠く、水鶏声して
夕月すずしき、夏は来ぬ

五月やみ、蛍飛びかい
水鶏なき、卯の花咲きて
早苗植えわたす、夏は来ぬ

なぜかこの歌ばかり浮かんで歌ってばかりいました。
最初のメロディーがリズミカルに音程が変わるところがなぜか耳について、私はこの歌を何度も歌っていました。
古文の教師としては心惹かれる言葉の運び方。
なんとも初夏のさわやかさを感じさせる歌です。
小さいころの思い出と、なんとも風渡る祖父母と共に暮らした家の初夏の風のさわやかさと雰囲気。半袖に衣替えするころの喜び。
私は小さいころから季節の移ろいを感じることが好きでした。
そして殊更に、自分の生まれた季節が好きでした。
母の愛してくれたこの季節を私もまた大好きで、子どもたちもそうですが、なぜか奇数月に生まれて、私は前から偶数より奇数が好きでした。
子どもたちがそれぞれ冬と秋に生まれ、それまでは体調的に苦手だった季節が大好きになりました。

大好きな人が生まれた季節も、その月や日も、それもまた愛する対象になるようです。
それに、何かを感じるときに、ついつい自分の専門分野につなげて愛してしまうところもあります。

私と娘の名前は植物と関係があります。
そして、娘の名には荘子の「斉物論」、息子の名前には老子の解釈が含まれています。
愛する人が増えるということは、それだけ、愛する対象もまた広がっていくというものです。

そして母もまた、私の生まれた季節を取っても愛してくれました。
よく言葉に出して、
私はこの新緑の季節が好き。
と言ってくれます。
私もどこか初夏の5月、さわやかな7月の夏が好きです。

五月闇、という言葉に惹かれて、いつもはどちらかというと短歌を詠むことの方が多いのですが、ふと俳句を詠みたい、と思ってしまいます。
ああ、なんて日本語は美しいのだろう。
この国に生まれて良かった、とつくづく思う季節です。

公開:2023/05/07 最終更新:2023/05/07
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