昔、社会の先生になりたかった私。今では国語で良かったと思っていますが。
中学校のとき、とにかく教師になりたくて、教科は何でもいいくらい。
数学は、結構得意だという気持ちでいました。
英語は、得意かどうかわからないけれど、好きでした。
この二つは、そうそう試験前に勉強する科目でもありませんでした。
ほとんど記憶を必要としない。
あと、地理をのければ、社会は、暗記する前に頭に入って来ていたし、理科の物理や化学の分野も、あまり覚えなくてもいいので好きでした。
歌を除けば、音楽も大好きでした。その後、楽器よりもむしろ歌の方が好きになるとは思っても見ませんでした。
問題の国語・・・。
この時間は話を聴いて、考えていればいいので、おもしろかったのです。
文章は、同じ言葉を使っても、言葉の位置を変えただけで、全く意味が変わってしまいます。
それが結構ロジカルに思えて面白かったし、当時は、むしろ心情理解でどうしても納得いかない面もありました。
それでも、どうしたって国語が一番できるのは仕方がありませんでした。
ほかの教科を愛しても、あなたじゃないの・・・、と言っても守り通してくれる・・・、そんな人のような国語です。
国語と一緒にいる限り、どこに行っても私はなんとかなりました。
中学校のときの夢は、中学校の社会の先生になって、ブラスバンド部の顧問になる、というものでした。
その夢は、教育そのものを学ぶ方ではなくて、文学部に進んだので、高校の教諭になって、そして国文をやっていたので、国語の先生になることになり、でも、吹奏楽部の顧問(形だけだけれど。)にはなりました。
昨日、参加した「哲学カフェ」は、高校の倫理社会の授業で教わった、カントについてのお話でした。
その後、学ぶことになる分野にむしろ近い、『永遠平和のために』についてでした。
高校時代、ソクラテスやプラトンやソクラテスについても学びましたが、この3人については、大学に行っても学んだので、少しは知っていました。
カントは、高校を卒業してからも自分で読んだことはあるものの、そして、惹かれてはいたものの、そうそうわかっていたわけではありませんでした。
この度、カントについてのお話が進む中で、私は高校時代、倫理社会の授業を受けていたときの雰囲気まで思い出していました。
粗々、いろんな思想家については、資料集を使って教えていただきました。
だから、どこか老荘思想が好きなのも気づいていました。
あの時代、結構大変だったと思っていたけれど、自分の中のあちこちに残っているその頃に教えていただいたことなどをよく思い出します。
昨日、哲学に触れて、ああ、そう言えば、社会の先生になりたかったよなあ・・・、とつくづくと思い出していました。
なぜ国語の教師になったのか?と言われたら、国語が一番できたから、ということに行きつくと思います。
ちょっと残念な答えかな?
でも、最近、愛されることは知っていても、誰かを本当に愛することを経験してきたのかわからなくなってきていた私の生き方をよく表すかのように、思い続けてくれた国語と共に生きてきたのだなあ・・・、と思います。
何度逃げようとしたかわからない国語ですが、いつも私を守って、見方してくれたのは国語でした。
自分が思い続けてどうしてもそれが好きで・・・、というものがあるといいな、と思います。
努力はしてきました。
苦手なことにはとっても努力してきました。
でも、国語を自ら学ぶ対象にしたのは、それを教えることになってからです。
もちろん大学では文学を一生懸命に学びはしました。
教師になるための努力は結構してきたと思います。
でも、国語という教科は、いつも私のそばにいて、徹底的に私の味方をしてくれました。
そのありがたさを、もっと知るべきだし、また、もっと感謝するべきだなあ・・・、と思っています。
そんなことを思い出したのは、ある人の、勇気ある潔い言動と、そして、なんと、テレビドラマの「恋はつづくよどこまでも」の主人公の勇者ちゃんの姿からでした。
私は、ヒロインが恋する相手、循環器内科の魔王こと天童先生には、大いに共感します。
失敗ばかりしている勇者に、「実害出る前に、とっととやめろ!」とか、「バーカ!」と言ってしまう気持ちは痛いほどわかります。
そういえば、新卒で勤めた頃、体育科の後輩がいて、それも男子で、いい加減なことをしていたら、私は結構容赦がありませんでした。
あからさまに面白くない顔をしていたと思います。
なんで仕事をサボるわけ?なんで私が授業から帰ってきたら、私の席に座って、私の隣の先生と楽しくおしゃべりしてるわけ?
私は、時間を無駄に使いたくなかったのです。
が、今から思えば、雑談をしてコミュニケーションを取るのは立派な仕事です。
ただ、その学校出身で、しかもお父様が大物の彼が、甘く思えたのも事実だし、実際今から考えても、甘かったのかもしれません。
今ならもう少し大きな気持ちで見てあげられるのかもしれませんが、若いころは、今よりも鋭く仕事をしていたのだろうと思います。
自分の仕事を邪魔されたくない。
クライアントを徹底的に守る。
いい加減さを許さない。
などなど、それは仕事への思いはたくさんあります。
それをオブラートに包んだり、あるいは、自分が経験していないことでも、ああ、そういう人もいるかもしれないなあ・・・、と思って、理解しようとするのが先輩というものです。
魔王が、勇者のお父さんに、僕にはもったいないほどの人です、という場面で、ああ、この人に勇者ちゃんの素晴らしさがわかったんだなあ・・・、としみじみ思います。
学校現場で、私はちょっと厳しめの先輩が好きでした。
自分は柔らかくおっとりしているように見られますが、おそらくは仕事ではそういう面ばかりではないでしょう。
割と許容量はあるし、待つこともできると思います。
よく、後継者について振られますし、ある人を指名される方もいらっしゃるのですが、よく言います。
いやいや、あいつは教師の器ではありませんよ。
頭の回転が速いのはわかりますが、だいたい、待つことができない・・・。
教師は、人の成長を待ててなんぼです。
もちろん、一方で、待ってばかりはいられないのが教科指導です。
その両立には、むしろ頭の回転の良さなどない方が適しているかもしれません。
慌てなければ進まない現場と、待つことが大事な教育。
その二つをうまく融合できてこその教室だと思うのです。