結構いろんな事やってる私。
今日は休暇3日目。
教室の方の不燃物のお当番だったので、ドキドキして、なかなか眠れませんでした。
でも、6時にゴミ出しの準備をしてから、ずっとうちのことをしていたので、結構長い一日で、あれこれ片付いていきます。
ときどき教室に寄っては、これもあれこれ。
実は、私は、三度のご飯より指導が好きですが、何より生活することが好きなのです。
できれば大事に生活したいと思っています。
手を掛けたい、と思うのです。
それもできれば自分でやりたい。(笑)
フェイスブックの思い出によると、やはり昨年も、洗剤の香りを楽しみながら、大物の洗濯を楽しんでいたようです。
本当は梅仕事もしたいくらい。
今日は暑いから、おそうめんにしたいなあ、とメニューはとっくに決まっていたのに、そうめんのおつゆを作る楽しさに心が行ってしまってます。
ダメダメ、違う材料があれこれあるから・・・。第一、そんな手の込んだことしてられないでしょ?ほかにすることたくさんあるし・・・。
と諦めました。
でも、優先順位をつけるのも、結構現金に決めて、仕事が立て込んでいたら、それはそれ、少々苦痛を伴おうと、仕事が一番大事になります。
もちろん、あれしたいなあこれしたいなあ、とちょっぴり夢見る夢子もします。
家事をアウトソーシングする、という説もありますが(どこかに。)、私はそんなもったいないことしたくありません。
今日、久しぶりに針を持ちました。
結構長い時間。
手洗いしたお布団があちこち擦り切れていて(たぶん洗濯機の脱水の時の摩擦によるものだと思われます。)、敷く方は同じ素材でも平気なのに、どうも、洗濯機の容量に比して、大きかったのだなあ、と思っています。
その擦り切れたところを、チクチクチクチク縫っていると、心が落ち着いてくるから不思議です。
余裕がなかったなあ、と思っています。
なんとか日常生活をしている、という感じでした。
そもそも学問、勉強って、本当は日常生活に生きるものだと思うのです。
決して相反するものではないと思います。
昨日、母にコールスローのおいしさについて話していて、突然浸透圧の話をし出していました。
普通にお料理では化学の知識がときどきさらっと出てきます。
それを思って、自分でもニヤリ。
母も笑っていました。
要するに、そこは浸透圧の問題で~・・・、と言ってしまって、二人で大笑いしていました。
母は上手にできたようで、お料理に対する意欲が出てきたようです。
おいしくできたから、一品ずつ覚えていきたいけど、本は何がいいかなあ・・・、と言っています。
ほんの少しずつの努力が、いえ、もしかしたら、ほんの少しずつの歩みが、生活の中では大きくものを言うようになるような気がします。
お布団やケットの洗濯の間合い、お料理の味の配分・・・。
なんでも学ぶことは同じだと思うのです。
私にとっては、ずいぶん長い間、勉強の方が馴染んだ世界ではありましたが、今ではどちらも大切です。