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美容師さんと『夢十夜』の話をしました。

先日、美容院に行って、スタッフの方とお話していたら、その彼が国語に詳しくて、いきなり、
俺、『夢十夜』が好きなんですよね!
と言い出されて、正直面くらいました。
なぜかというと、漱石の作品は、結構読んでいるのですが、読んでいないものもあって、全部読んでいないのは、『夢十夜』と『硝子戸の中』、『吾輩は猫である』はバッチリ、有名なのに読んでいない作品そのものだったのに、その、『夢十夜』についての深い考察をお聴きすることになったのです。
なんでも国語が大好きだったそうで、
「とんかつ」好きだったんですよー、とのことで、知らなくて、調べてみたら、三浦哲郎の作品で、
中二で、ちょうど今、「盆土産」やってるけど、エビフライだけではなくて、とんかつもあったのね!と言ったら、
あ、俺読んだの、エビフライだ!とおっしゃってましたが、きっと高校でも「とんかつ」という、私の知らない作品を学ばれたのだと思います。
国語が好きだった、なんて言ってくれる青年と話が盛り上がり、本当に楽しい時間になりました。

『夢十夜』をしっかり読みたい、と思わされました。

漱石は大好きです。祖母が理屈や、などと言っていましたが、あの、感性を二項対立の論理に持って行く当たり、漢文の素養もあるからか、めちゃくちゃ好きです。
それから、漱石は、どうも、知的な、ちょっと気の強い女性が好きだったように思います。

私は、『それから』の美千代が、代助からの求愛を、そのための呼び出しだとわかる女だと表現するところが大好きです。
『こころ』の中の奥さんも、この系譜になるような気がします。
また、『三四郎』の美禰子、『虞美人草』の藤野、『彼岸過迄』の千代子もそうだと思います。

どこか知に勝った、論理を理解する女性が登場します。

最近、世の男性は、いわゆる大和撫子と言われる、芯の強い、柔らかな雰囲気の女性ばかりを好きになるわけでもないんだな、と自分自身の若いころの認識に返ってきているような気がします。
漱石をして、魅力的な女性を、大和撫子とは反対のような女性として描かせたのですから。

それにしても、いつの間に、こういう保守的な考え方になって、それが正しいと思うようになっていたのでしょうか?

先日のある会合でも、私は、自分が嫁の立場なら、徹底的に夫に添います。でも、夫の立場なら、絶対にそうはしないし、させない、と言ったとき、この私の中に沁みついた行動原理は、もともとのものなのか、それとも後から身に着けたものなのだろうか?と、自分の発言に正直驚いていました。

まだまだ意外な自分との出会いは続くのかもしれません。
そのきっかけをくれるのがまた、偶然出会った人であったりするのですから面白いものです。

公開:2022/09/26 最終更新:2022/09/26
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