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課題が終わるまで、チェックを入れた私・・・。信じてはいるけども、この時期ですから。

期末考査対策真っただ中の今日、指導が終わった後の生徒、そして、自習に来ている生徒の一部の生徒に、課題が終わるまで、そして、私のチェックが終わるまで、帰らないようにと言ったら、本当に残って頑張っていた。

信じていないわけではないけれど、課題は提出することに意味があるのではなくて、むしろ、その課題を仕上げることで、頭に定着させることに意味がある。
使ってなんぼ・・・、なのである。
課題の提出を信じていないのではない。
そこからきちんと得るものを得ているのかどうか?という点をチェックしたいのである。

ところどころでしている凡ミス・・・。
なんでここにないのか、あるいはないのかわからないsがあったり、時制の間違いなどなど・・・。
演習中、これくらい、と思っているところで、失点していてはもったいないし、何より、これから生きていくうえでの正確さを身に着けてほしいと願っている。

数学は潔い教科である。
それはこの世にある事柄を一番平易で簡潔な言葉で表した美しいストーリーだから。

社会は、生きていくうえでたくさんのことを考えさせられるし、思考力を養い、社会生活の中で、自分を守るよすがになる知識となる。

理科は、これも簡潔に理論をわかる上で素敵な教科である。
飛行機に乗ると、いつも、生徒に教えている飽和水蒸気量の話、露天などが思い浮かびつつ、空と雲の色のコントラストに、どうしようもなくうっとりとしている。この時、私の頭は、理科と美術が混在した世界にいる。

英語は、たぶん世界で最も論理的で簡潔な言語だと思う。
英語で、思考がシンプルになるのを感じる。
mayやmight という言葉が出てくることが多いのを感じるとき、あれっ?と思いながら、意外に論理的だからこそ、論理の穴を埋めるためのものかもしれない、と思わされる。

そして、国語は、我ら日本人の心を学ぶとともに、いろんな分野への入り口となる教科である。

有識者の言葉にもあるように、最近の中学生は国語の教科書を読むことが難しいようではあるけれど・・・。

これは、私も日々実感している。
だから、考査対策に、一緒に教科書を読むところから始めることも多い。

今は少しばかり英語に押されているような感じはあるけれど、いつかみんなが日本語の美しさに感動し、我らには、こんな素敵な宝物があるのだということに気づく日が来てほしい。

と言いつつ、若い日々は、得意である国語よりも、西欧のものの考え方に惹かれて、外国文学を読み漁っていたものだけれども・・・。(笑)

公開:2021/11/27 最終更新:2021/11/27
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