講師陣の文章修行
クラス指導が終わったU先生と、話していた。
まあ、代表の私からはいい格好した言い方すれば、立場的な、ヒアリング、とも言える・・・。(笑)
あれこれ話していた。
先日の食事会での彼の写っている姿がおばさまたちの心に留まっている。
思っていたよりしっかりして、年かさに見える、だとか、いつの間にか大人になられて・・・。
などなど。
それをご本人に話すと、お家での立ち位置などあれこれ話してくれた。
先日のAちゃんの話と言い、書くことの重要性、自分の心を開く方法として、書くことの効用を知っている私は、文章を書くことをオススメしていた。
その前に、大経営者である稲盛和夫の『京セラフィロソフィ』の中にも書いてあったように、少し臆病くらいな人の方がいい。蛮勇はいけない。
臆病なくらいな人が、誠実に仕事をして、少しずつ成功体験を通して勇気を出して、少しずつ一歩一歩踏み出せるようになって、いつの間にか信念をもって勇敢なタイプになるのが一番いい、と書いてあったことなどを話した。
誠実な彼の心に響いたようで、なんだか書くことの意味も伝わったようではある。
明日、文章の書き方について、お話しする予定である。
話してみて、聴いてみてわかった彼の気持ちがあった。
意外な気持ち。
自分を見る目と人から見られる目。
意外と違っていたりする。
彼には、いつも私が周りから言われているのと同じ言葉を掛けてしまった。
でも、よくよく考えると、ときにアスリート気質、と表現される自分に、今の自分を認めることなどできない、とも思えてきた。
アスリートにしては、ずいぶんコロコロしたアスリートだけれど。
今の自分より、もっともっと、向上していかなければいけない、と考えてしまうのである。
いつも、今が、ゼロであるかのように。
過去に培ってきたものは、いつもないことになっている私。
いや、忘れているというべきかな。(笑)