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進路指導や面談、そして期末考査対策。

今日は、朝からたくさん指導をすると共に、受験期のような賑わいだった。
ということは、こちらが指導する分野も、あれこれ注意することもたくさんあるわけで・・・。
そうそう悪い子でもないのに、たくさん叱っちゃったかなあ・・・、と反省しているけれど、ご本人はケロッとしていたり、周りの笑いを誘っているだけであったり、こちらの深刻さとは裏腹に、若い生徒さんたちは、結構それぞれの立ち位置から頑張っている。

途中、先輩と後輩で一緒にお買い物に行ってみたり、先輩が後輩にちょっとした注意をしてみたり、部活のつながりで、他校の生徒さんとも、実は知り合いであったり、あれこれおもしろいことがある。

私はというと、結構数学の力をつけた。
いや、私がつけたって・・・!?

思い出しているのである。
しばらく解いていなかったので、何言ってんだろう・・・?と一瞬の間がある。
それで解けてしまったときの喜び。

その直後に、勝手知ったる『山月記』の解説をしていたりする。
この作品は、高校で教えていた頃、何回か授業をし、そしてテストも作成したので、そして、図書館関連のレポートでも扱ったことがあったので、勝手知ったる作品である。
しかし、作者である中島敦は、『山月記』だけでは語れない、なかなかにユーモラスであったり、明るい作品も書いている。
もちろん、深く心に沈潜するような作品もあるにはあるけれど、意外に明るい作品などが心に残っている。

最近、何を訊かれても答えている。
やってみればできる。

かつて新卒で国語を教えだした頃も、現代文などどこに引っ掛かって、解説すればいいのか、それこそ正答のない教科と言えるので、結構悩んだけれど、やってみれば、それほど的を射ていないものでもないことが、客観的にわかるようになる。
それと同じで、英語に進出し、社会に進出し、それが最近は数学であったり理科になって来ただけの話である。
だいたい、中学校は、私が五教科教えている。
その延長で、最近、高校の理系分野がとても面白く感じられる。

もっと難しい問題持って来てくれる?と言ってしまうこともあり、生徒の苦笑がおかしい。
でも、彼らは、めげない。
別に私が本当にそう思っているとばかり思っていないことを知っているから。

基礎にこそその本質があるということはわかり過ぎるほどわかっているのであるから。

公開:2022/06/27 最終更新:2022/06/27
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