面談をしていて思い出す、高校時代の自分の責任の取り方。
別にそうしたくてそうしたわけでもないのに、私は、高校時代、変に目立ってしまう、ドラマーだった。
そうしたくてそうしたわけではないのに、あの頃の自分は、やたら責任感で走っていたようなところがあって、自分の成績より、このバンドでの責任、と思っていたような節がある。
あるとき、辞めたい辞めたい説が多くて、会議になった。
そもそもそういう部活なのだろうと思う。
激しいし、個性派ぞろいだし、中学校までおとなしかった私がそのままおとなしくしていられるわけがなかった。
正直、心ときめく人もおらず(それなりに男女交際などもしていたが。)、高3になって、別にここに素敵な人がいないわけでもない、と悟り出す始末。
要するに激し過ぎた。今でも思い出すだけで、いやーな思いをする顔がいくつか思い浮かぶ。
今思い出しても、高校が嫌いだったのだ、と思うけど、そうではなくて、たぶん、部活が大変だったのだろうと思う。
その会議の時に、自分のした発言に驚いた。
私は、成績だけで言ったら、今すぐにでも辞めないといけないと思います。けど、目の前のことを放っておいて、次に行っていいのかな、と思う・・・。
とわれながら、しっかり考えているようなことを言ってしまった。
その通り、高3になったら、勉強だけしていたらいいので、思い切り高校生活が楽になった。
別に誰かの生とか言っているのでもないし、それぞれの性格や、音楽に対する考え方もあるから、それをいつまでも思っているということでもないけれど、結構衝撃的な時代だった。(笑)
今、面談で、あれこれ話していると、ああ、この、部活への情熱や、身動きの取れなさって、もしかしたら、今はその子なりの責任感で動いている、ということもあるのかな?と思う。
おばあちゃんが、高2の時に、趣味もいいけどな、ほどほどにしとかな・・・、と言ってくれた。
でも、その時の自分には、それを放り出すことなどできなかった。
別にうまかったわけでも、何でもないのに。
楽しいか?と言われたら、もっと違っていただろう。
でも、教師になって、そのときに辞めなくてよかった、と何度も思った。
そもそも人の中に出て行くタイプでもなかったので、あの時代がなかったら、私は、教師になど慣れなかっただろうと思う。
これは学校現場での話。というなら、予備校や大学での授業も入るけれど。
教科指導をするときに、かつて私たちの担任の先生が、成績だけではなくて、その子の性質や環境にまで思いを馳せてくださったときのことを思い出す。
そして、その後、高校で生活指導をしていたとkの経験からも、人を見て指導をするようにしている。
というより、人を見ないで、教科指導など成り立たない、と考えている。
予備校勤務の時は、ある意味、教科だけの、しかも国語のある種専門的なところのみを語っていればいいので、楽だとも言える。
けれども、また違った意味での重さがある。
それぞれではあるけれど、全力で、いい方向にもっていこうとすることだけはいつも同じである。