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Mちゃんからの贈り物-春期講習が終わって・・・。

私の春期講習はまだ残っているけれど、新人たちの春期講習はとりあえず終わったことになる。

この春期講習の期間は、いろいろ考えさせられることの多い期間だった。
たくさん助けていただいたにも関わらず。

一教師としてだけではなくて、なんだかちょっとずつ代表として考えている自分と向き合ってきた。

新人をお預かりする、ということは、彼らにとって、おそらくは初の社会人としての仕事をしていただくことになるだろうし、あるいは、初の講師としての仕事をするということになるから、手を出しすぎてもいけないし、逆に、何も言わずに放っておいていいわけでもない。
さりげなく、任せて任せきらない、丁度いい距離を保たなければならない。

一方、教師としての自分の姿勢を問われる面もあった。

実は、ここ数年、私は、どこかで仕事をしていない感があったのである。
仕事はしているし、指導もしている。
でも、どこかで、なんだか遠慮していた。

もっと言うべきなのに・・・。
どこかで妥協している自分と闘っていた。

それを、自分より年配の方から、いい意味で指摘をいただいたのである。

何か生徒に悩み事があったとき、よくお連れするカフェの女性の方は、よく生徒に、

この先生は、ほかの人とは違って、本当のことを言ってくれる。あなたのことを思って、適当にしゃべったりしない。だから、安心して相談して・・・。

と言ってくださっていた。

冬期講習が終わって、お手伝いしていただいた、生徒のおばあさまからは、

今の親や祖父母が甘やかしてきて、現代っ子をダメにしている。先生は、妥協せずに叱っていました。
勉強だけではないものがチェリーにはあります。

などと言われていただけれど、どこかで、妥協している自分がいるようで、以前ほど楽しくなくなっていたのである。
必死で指導するから、教師は楽しい。

そして、先日面談があった。
その中で、言われたことと、気づいたことがあった。

ときに教師が、冷静だけ、客観視した状態でだけ生徒と向き合っていては伝わらないものがあることは百も承知だった。
私は、あまり自分が感情的になるところを見るのが好きではない。
わざと感情的に見せることがあるとしたら、それは、それ以上好かれたくない、というような魂胆がある場合だけである。
私、そういう意味ではいい恰好しいだし。

面談の中で、気づいたのである。
その生徒さんにまだまだどこかで遠慮しているということに。つまりは妥協しているということに。
嫌われても、怒らせてもいい。
とまでは思い切れていなかった。とことん、その子のことを思って、表現していない。

保護者がおっしゃった。
先生、思い切り叱ってやっていただけませんか?本気で向き合っていただけませんか?

それで気づいたのである。
なかには、たかだか勉強を教える塾(これは私が勝手に解釈しただけ。)で、しかもお金を払っている側で、みんなの前で叱られて、行くのが嫌になって・・・、などという、なんか聞いたようなそうでないようなことが聞こえてきて、ここは、そういう人が来る塾だったっけ?と思ったこともあったし、機嫌を損ねたら、勉強してくれなくなるから、あんまり言われても・・・、というようなこともあった。

それから、そういう姿勢では伸びませんよ。とアドバイスしたら、

そんなことどうでもええわ。点数だけ上げて!
と言われて、びっくりしてしまったことがあった。

私はどこかで、立ち入り過ぎ?それとも、塾の在り方、って?と悩みを見せていたのである。

そんなこと考えている人が来る塾ではないし、勉強+αの何かを求めた方がいらっしゃる。
どこかで、ただやみくもに勉強しているのでは追い付かないことをある意味知っていらっしゃる場合にいらっしゃるとも言える。

合格だけが成功で、不合格が失敗ではない。
その先がある。

合格してしまったから、頑張らなければならなくなることも、不合格だったから、のびのび勉強できて、意外に大学受験の頃にはとてもいい状態になっていることもある。
進路が決まったら、それに合わせた指導や勉強がまた始まるのである。

とりあえず、第一志望合格主義ではあるけれど・・・。

そんな中で、バシッと叱ってやってください。
しっかり向き合ってください、という言葉に、今までの私の悩みはふっとんだのである。
それをこそ期待されていることをする勇気がどこかで半減していたのだろうと思う。

そう言えば、私の先生筋の方も、クライアントのことを考えて、必死で毒舌よろしく、アドバイスしている姿はカッコ良かった。
最近、妥協されているように思えてならない。

本当に相手のことを思っての言葉は相手に響くし、届くものだ。

先日、先生のZOOMでのセミナーを、丁度時間があったので受講した。
やっぱり鋭かった。

以前は、顔を見たら数日気が揉めて揉めて、なんやねん!とイライラしていたのに、先日は、やけにホッとしていた。
受験疲れていたのか?それとも私が成長したのか?どちらだろうか?

ちょっとばかり自分の成長も感じられた。

というわけで、おかんだか、櫻井道場だか、ただの熱い予備校講師だか、元生活指導部の厳しさだかわからないけれど、時間管理や、スケジュール管理も含めて、コーチングという意味合いだけではなく、生徒とガップリ組んで、お付き合いする自分に戻ることにする。

今年の高1。
結構私は入学前から厳しいことを言っている。

今年の中三。
もう、厳しめになってきている。

全員心なしか少しずつ成長している。

ご本人の成長があってこそ、学ぶ姿勢もできてきて、勉強も捗る、というものである。
その信念を曲げたくはない。

新人講師のM先生からの贈り物があった。
彼女には一番厳しいことを言った。
大学のレポートを見せられて、

こんなレポート、考えようによったら、手を抜いていると思われる。
今の中学生が、こんな表に、自分で何かを考えて、書きこむと思う?

とか、

国語の指導をしていただいているときには、

実感を持った解説をするように気をつけて・・・。

とか、

自分から、とにかく言葉を発すること。
いいわね。大学に戻ったら、「このジュースおいしいね。」からでもいいから、自分から言葉を発すること。

お節介極まりないことをたくさん言った。
いつか公教育の場で国語の先生として指導してほしい、と願って。
自分が伝えられることはお伝えしたかった。

彼女は、かつて私に言ってくれたように、「先生は人の言うことを曲解しないから。」と言ってくれたように、全く曲解せず、素直に受け止めてくれて、

実りの多い経験でした。

と言って、大学へとまた旅立って行った。

チェリーも、少し成長してきた。
少し年数が経って、かつて生徒だった子が、先生になろうかと思って、あるいは、いろんな目標をもって、帰って来てくれるようになった。
それぞれに厳しいことを言った時期のある生徒さん。
私の言ったこと、私が伝えたかったことをしっかり受け止めてくれた面々である。

正直、私の宝物である。

公開:2021/04/05 最終更新:2021/04/05
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