とどのつまりは国語力ー大学受験における国語の力の重要性
先日から、長年そうは思っていたけれど、英語を教えていても数学を教えていても、結局は国語力が大事で、読解力に若くものは物はないと思わされている。
最難関大学の編入試験の入試問題の英語を指導していて、結局国語やん!?と思わされたことが何度あったことだろうか。
当日出題された問題も、かなり難解だったらしいが、受験生自身も、
これ、櫻井先生、めっちゃ好きな問題だったんだろうな。
とのことで、まるで文学部の人間に解かせたいんですか?
というような出題だったらしい。
聞いてみると、私たちには馴染みのある話が出ていたらしい。
対策は他大の深い話を扱った問題を解いておいたし、対策という対策はしておいた。
だから私にとってはめちゃくちゃ面白かったのである。
私たちが子どもの頃よりもまたずっと国語力が落ちていることを実感する。
深い心情が理解できないのである。
だから当然、深い内容の哲学や社会学や歴史に関するような論文に太刀打ちできない場合もある。
深い心情や、言葉の裏にある微妙なニュアンスを受け止めるのが私は得意である。
中学生が高校受験するのに、国語の成績を上げるのには正直国語力がなくてもできる。しかし、国語の力が着いているとほかの教科もかなりの部分で効率的である。
先日から高校生に数学や英語を教えていて、ああ、これ、国語力、読解力の問題ね!ということが多かった。
では、国語力とは何だろうか?
深く読み取る力である。
数学の空間の問題も想像できてなんぼである。
また、ベクトルや微分積分、数列においても何を言っているのか、何を問われているのかということがわかれば早い。
また、理解力というのは大きく読解力とつながっている。
最近、全く理系の人の、あまりの理解力の高さに舌を巻いているけれど、もともと文系の方なのかもしれない。相当に本を読んでいらっしゃるのだろうな、と思わされる。
ちょっとお話した内容をデジタル的にもアナログ的にもサッと掴まれ、それこそ的確に答えが返ってくる。
理系が理系の勉強だけをしていていい時代は終わった。
今回理系学部への編入試験であったが、これ、絶対、文系に寄ってる、文系の力を要求している出題だよね!と何度語り合ったことだろうか・・・。
そしてそのたびに新しい文献を取り寄せた。
内容的にも、読解力養成としても。
ということで国語というのは大きいなあ、というお話である。
それにチェリーの面々は高校生になると国語がとんでもなく安定している。
だから、なかなか国語の指導ができないことがある。
嬉しい悲鳴でもあるけれど、英語の中の国語に、数学の中の読解に気付いては感動している。