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出会いー人と映画と文学作品と、それから数学!?

 出会い、というものは、いろいろとあっちからやってくるもので、最近の大きな出会いと言えば、何と言っても数学ではないか?と思っている。
 国語を重点的に指導する、ということは、国語がちょっと苦手な生徒さんが来るわけで、そうすると理系が集まりがちなわけで、そうすると、数学も聞かれることが多くなるわけで、そうしたら、いつもいる私に数学を教えてもらいたくなる、というか便利に質問したくなり、まあ、ちょっと聞いてみよう、ということから始まって、私が考えているうちに、あてにされて、結局数学を教える羽目になったら、数学を教えている時間がいつの間にか多くなってきている・・・。
 数年前、開校したとき、当然のように英語は教えることになるだろうな、とは予想していたものの、数学がこんなに好きになるとは思っていなかった。
 自分で言うのもなんだけれど、高校数学レベル、ということで言うなら、思ったよりできるのである・・・。
 というか、かつてより、ピン!とくるものが多くなっている。なんでだろう?
 たぶん、全部がつながってきたのだろうと思う。すべての分野が、それぞれの分野から、ほかの分野へと・・・。
 なんであんなに苦手意識をもっていたのかな?
 わからないのである・・・。やってみたらできたというか・・・。

 しかし、数か月前に、「あなたの隠れた才能分析」というのを、一人でやってみたことがあった。回答は、英語を訳さなければならなかった皮肉・・・。その先は、なんと、数学的論理的思考力・・・、だった。
 ふーん。
 笑いもせずに受け止めた。
 女性のわりに論理的、などと言われることが多かったし、言われてみれば、思い当たる節もある。中学生のときまでは、数学は、好きだった。むしろ、なんにもしなくてもいい国語よりも、好きだったかもしれない。国語は、懐かしい故郷のような教科である。ときどき帰ってきたら、ホッとするような・・・。
 それに加えて、数年前、結構好きで勉強していた分野が、ある意味数学的だったので、それは仕方のないことなのかもしれない。

 ここらで、専門の国語に敬意をはらって・・・。
 先日、高校に入学した生徒さんのリスニング教材を見に行き、テキストを選んでいた。ラジオ講座で、自分も聴いてみようと思って、ラジオテキストを見ていたときに、当然「漢詩の世界」が目につき、これも、となるのが私の常ではあるものの、なんと、「100分で名著」のテキストに『薔薇の名前』があって、思わず手に取ってしまった・・・。
 『薔薇の名前』は、かつてシェークスピアの勉強をし始めたころ、出会った作品であるが、先に映画を観て、もうええわー、という内容のように思えて、古本屋さんに出すか、捨てよう!とまで思い詰めた作品であった。しかし、そのテキストに惹かれて、まあ、結局買ってしまい、ある会合が楽しくて、その楽しかった気持ちを鎮めようと、カフェに行って、読みだした・・・。幾分逃避的な気分に包まれながら・・・。
 そうしたら、もう、どうしようもなくのめってしまい、いつもはあれこれおしゃべりするカフェの方々にも、全然話しもせず、一心不乱に読んでしまった。専門家に読み解かれた、その作品は、生きるということのあれこれとした意味を、壮大に語っているものらしい・・・。

 作者ウンベルト・エーコは、学者である。国語の世界でも、ときおり顔を出す、記号論的哲学者である。知の巨匠。
 「理論化できないことは物語られなければならない」という言葉・・・。
 そりゃあ、人間、理論的に解明される部分なんて、たかがしれてる・・・。学問より、物語の方が勝つに決まってる・・・。
 それをここまで言葉で明確に書いてくれるなんて・・・。

 紐で縛られて、捨てられようとして、でもなぜか置いていた本の紐を解いた。さて、読まねばなるまい・・・。

 もう一つ、出会いはひょんなことでやってくる・・・。
 それは次回に・・・。

公開:2019/04/30 最終更新:2019/04/30
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