明けましておめでとうございます。
みなさま、明けましておめでとうございます。
朝から指導中です。
今はお昼休み。
我が愛しの中三生たちは成績もだんだん落ち着いてきているようです。
今日は社会の過去問を解いて、昨日はどうなることか・・・、と思っていたのですが、昨日みんなで結構復習したようで、今日はその効果が出ていました。
ちょっとやったらできるんやったら、さっさとやれば・・・?と意地悪な気持ちになったりもします。(笑)
今日は初詣に行きたい人や行かなくてはいけない人もいるので、それは柔軟に対応というものです。
18時に閉校という、仏様のように優しい対応をすることになりました。
でも、指導後も自習する気満々のようです。
さて、ここ数日、お節料理の話から発展して、あることについてあれこれ考えていることがあります。
実は数年前、予備校の同僚とそうそう、そうするべき立場でもないのに、つまりは教えている生徒でも何でもない、ただの顔を知っている生徒が仲の良い同僚に教わっている関係で、私たちがおしゃべりしているところに、センター試験後の進路相談に来ました。つまりは国公立二次試験でどこの大学を受験するか?ということを相談しに来ました。
新潟大学と信州大学で迷っていた生徒に、同僚と私は、全く違う観点から違う大学をお勧めしました。
こともあろうに、新潟だったら、秋田美人と結婚できるかもしれない、などと言い出して、半ば呆れていました。
そんな時、そもそも忘れかけていた、というよりそうそう記憶に残ること自体がおかしいのに、というより、今から思えば抹殺しようにもできなくて、後で逆襲するかのように、素直になれなかった当時の思いが湧き出てきたかのように、ある人の話をしていました。
そしたら、その同僚は、その名前を覚えてしまって、それから後、何かあると、ドラムスティックで三連符を叩く真似をしてその名前を言うのでした。
私が押さえ込んでいた思い出を掘り出すように、その名前を連呼していました。
ちょうど教育現場にいながら仕事について悩んでいた私は、そうだ!みんなはどうしているのだろう・・・?
と思い、同級生について調べてみました。
そしたら、あまりにも意外な職業に就いておられて、私の胸は塞がりました。
きっと大変なんだろうな。
私なんかが、子どもたちの体育祭や学習発表会に行ってのんびり子どもたちの成長を楽しんでいたときに・・・。
などと妄想はどんどん膨らんでいき、悩んで主治医の先生にそのことをお話したくらいでした。
ちゃんと眠ってなんかいないだろうな。だいたい手作りのご飯を食べて生きてきたのだろうか?
社会的な立場を考えたら、私が心配する必要も何もないし、それに、素敵な奥様がいらっしゃるかもしれません。お子様の体育祭や学習発表会にも行って楽しんでおられたかもしれません。
ただ、その人がどうしても人のためばかりに生きてきたのではないか?と勝手に妄想が走り出して、先生にその人の職場まで話して、心配している話をしたのです。
その人、免許もってる人?
ええ。
そしたら大丈夫。
今は○○で○○しているみたいで・・・。
もう大丈夫や。心配せんでいい。
この会話、今思い出しても、可笑しいのですが・・・。
ただ、その時切に思ったのは、できることなら素敵な人と一緒になって、お子さんに囲まれて・・・、であってほしいなあ、ということでした。
しあわせを願う、ということはそういうことなんだな、と思いました。
誰かのことだけを考えて、仕事だけしているのではなく、その人もしあわせで、自分の暮らしを楽しんでいてほしい・・・。
そんなに絡んだ人であったわけでもないのに、私は思い詰めていました。
でも、同時に羨ましく感じてもいました。
高度に専門的な仕事をしているからではなくて、朝から晩まで身を粉にして人のためになる仕事をされてきたということに。
自分も若いころは、結婚か仕事か?と二者択一で考えていたほど、仕事を一途に追求したかった面があったのです。
でも、いつかしらじぶんのしあわせ、というものを、こうだから、と私を愛してくれる人たちの価値観に押されてそうなのだ、と思い込んでいたように思います。
そこから外れたら周りの目から見てしあわせでなくなるし、その通りに生きていたらしあわせ、ということになります。
今、開校していて、どちらかと言えば仕事に傾いている生活をしていて、どちら?と言われたら、仕事をしている充実感は何にも替えがたいものがあります。
そんな本心を教えてもらったような気がしています。
だから、本当かどうかわからない妄想に走って、なぜか申し訳ないような気持ちになっていたりもしましたのです。
たぶん、人は関係ないのだと思います。
ただ、登場してきた人物が今の自分を捉えるきっかけになるのだと思います。
今、仕事が楽しい私としては、それを楽しんでもいい、と思えているし、ステレオタイプのしあわせを、誰から見てもしあわせと言えるものがしあわせだとは限らない、ということに気づいています。
周りがあれこれ言っていても、そのご本人はしあわせだということもあるでしょう。
そんなこんなに気づかされた年末から年始でした。
私も誰かのことをあれこれ言いたいわけでもないし、自分のこともあれこれ言われたくはありません。
だから、誰かの人生を評価するなんておこがましいし、不遜だと思います。
私は内心の自由を大切にしたいのです。
子育ても家事も大好きです。
でも、仕事が好きだっていいじゃない!と思っているのです。