英語の論理構造と国語力と。ー英文読解 情報の処理能力
最近の大学入試の問題もそうだし高校入試の問題もそうであるが、時間内に必要な情報をいかに処理できるか?というところに重点を置いているようである。逆に思考の深さを求める問題が少なくなってきているような気もする。
共通テストだけではない。
新聞記事のようなものも多い。
とりあえずこの春は英文に抵抗がなくなり、数学を解くようにロジカルに、でも国語力を駆使して何を書いてあるのかを読み取る力を培ってほしい。
英語は本当にロジカルな構造をしている。
文型さえわかってしまえば、どんな長文でもすらすら読むことができる。
私も演習の解説をするときに、自然と文型に当てはめて訳している。途中意味が取れなくなっても、とにかく文型に当てはめすればうまく訳せる。
英単語を覚える手間もイディオムを覚える手間も、訳すことができれば、逆に訳せない箇所にはイディオムがあるというわけだから。
こういうズボラなことをしていて、単語帳一つまともに覚えきったことがない私ではあるけれど、とにかく英語が好きである。
昨年ある試験を受験しようとして、受けそびれた。楽しみにしていたのだけれど。
訳も見ないでサッサと自分で訳してしまう。
そして引っかかったところがあると文法書や英和辞典、英英辞典で調べて、なーるほど!となる。
そこまで愛する必要もないかもしれないけれど、とりあえず受験を通して英語と仲良くなっておくのはいいことである。
昨夜のクラスで、共通テストの模試の過去問を解いていたのだけれど、やはり来年の受験生である彼らには英語を読む時間がまだ足りない。つまりは読むための時間が掛かっているということである。
これをスピードアップさせるために、読む、聞く、解く、ということ、覚えるということを反復させている。
自習室にCDプレイヤーを持ち込ませて、自由に使えるようにしてそれぞれに勉強ができるようにしている。
新高1生たちは、全国の難関高校の文章をいつも読解する前に耳で聴いていた。
結構英語の力がついた。
私は英語を伸ばすのも得意である。
そもそも私自身が大好きな英語。
国語を教えていて、自分も常に勉強していて、それでも、英語の指導になると論理構造の転換が面白くて、こういう切り替えが楽しくて私自身も勉強したり指導したりしている。
いいな。これから高校生だなんて。
いいな。これから大学受験だなんて。
たくさんたくさん勉強して、なんなら一生勉強することが楽しくなって、そのことが仕事にも生きてくるようになれたらいいな。
来週は新生活のための面談がいくつかある。
春期講習は早めに始めておいてよかった。
一人ひとりの今の状態を見て内容を決めたのだけれど、結構タイトなスケジュールになった。
春は微妙な季節である。
誰かに強制力を働かせてもらうことが少なくて、次の学年でのクラスもまだ決まっていなくて、新学期にならないと気持ちがシャンとしないようなところもある。
そんな曖昧な時期に、シャカリキに勉強しなさいとまでは言わないにしても(来年の受験生に入っているけど?)、ここで次の年度のための素地を作り、できていないところをしっかり復習し、希望の燃えて新学年に向かうかどうか?という点では大いに差の着く時期だからである。
己を律するものが将来を決める。
ある程度の強制力が必要である。
強制力なしにできる人は相当に意志の強い人である。
私自身も強制力は好きではないが、強制力を使っては来たと思う。
何でもうまく使えば自分のためになる。
ペースメーカーにするのにもいいし、勉強や受験について、あるいは勉強が捗らなくなる時に相談したりするのに使ってくれてもいい。教室はそのために存在している。
教育は人間を育てるところである。
ピアノが上手になったり、スポーツが上達するにはやはり人としての力がなくてはならない。
気持ちを置き去りにしては伸びる効率も悪い。
お手伝いを推奨したりするのもそのせいである。
学費を払ってくれたり、送り迎えをしてくれている親御さんに反抗していては効率が悪い。
精神的に乱れるからである。
お手伝いをすると、その後の勉強が捗るものである。
時間は倍になって返ってくる。
というのは私が実証済みです。(笑)
あるアドバイスで、部活も何もなくなった高3の春からちょっとお手伝いを本格的にやりました。
そして気づいたことを即実行するようになったら、とんでもなく短期間で成績が伸びました。(笑)
その頃から生活のあれこれの楽しさを知ったような気がします。
物事を進めるだけではなく、生活の幅を広げるというような。